究麺(しょうゆ)
始めに、究めるとは自己満足することを指す。
よその人から見てアイツは究めたと思っても、本人がまだ納得してなきゃ究めてないし、
本人が究めたと言っちゃえば、周りがなんと言おうと本人にとってそれが最高なのだ。
究めたって何回も言っちゃってるやつは、最高のつもりがもっと良い物があったという信用ならないやつで、
明星がこれで麺を究めたって言ってるなら、そりゃこれ以上良い物は作れませんよと言う意味であり、
いずれもっと究めましたとか言うようでは、全然究めてないじゃん、嘘つきじゃんって事になる。
まぁ、企業が研究をやめるということはないだろうから、究めたってのも最初から信用できないけどね。
どんどん変わっていく過程の一時期にすぎないのに、究めたなどと軽々しく言わないで欲しいが。
しかし、一応自分で究めたって言っちゃうほどに、今までとは違うんだという麺はやっぱり食べてみたい。
どのレベルで究めたって言う会社なのかが気になるわけだ。
前回は焼きそばをたべて、確かに他のメーカーにもない新しい麺であることを確認したが、
今回の醤油もやはり、今までに味わったことのない珍しいノンフライ麺ではある。
生麺でたまにあるような物をマネしたかったが、所詮ノンフライ麺の限界止まりになった感じ。
それがおいしいかどうかは個人の好みであり、人それぞれだろうな。
調理時間が5分で、それでもまだ硬めで太め、パスタのアルデンテのように芯が残るタイプではなく、
あえていうなら名古屋のいくら煮ても硬いうどんを結構煮たぐらいのバランスか。
どんぶりのわりには出来上がった麺の量が少なくて、小食な人でも食べきれる。
問題はやはりつゆとの相性であり、ありふれた麺にならあうスープも研究され尽くしているが、
新食感の麺にありふれたスープというのがイマイチおかしいのか、あまり好みではなかった。
リピートする気はない。
たとえこの麺が好きだという人でも、麺のためにこれを選びたい気持ちよりも、
他の安臭い麺に真新しいスープを合わせた商品を買う確率が高いんじゃなかろうか。
本気でこれで麺を究めたって言うスタンスであれば、この麺のためだけにあうスープを開発して損はない。
既存のカップ麺にあうスープではなく、この麺にしかあわないスープをゼロベースで開発すればいい。
だのにこのありふれたスープを合わせてきたことに、いいかげんさを感じずにはいられない。
これじゃ単に、ラーメンのバッタ物でしかない。
究めたのではなく、出来る範囲でカップラーメンっぽくないものを作ったにすぎない。
味が良くなったのではなく、マネがいままでよりは少々上手になってきただけだ。
まぁでも、既存のようなスープ重視で麺はオマケだからまずくてよい見たいな商品に比べたらマシ。
ただ、こだわるなら生麺のマネにこだわるのではなく、おいしさにこだわって究めて欲しかった。