終わったような脱力

2893 letters | 430 views | コメントする

やっぱりグダグダ話はここにも書く事にする。
これまで、TNotePadのソースのドキュメントに、
「本当は真魚のソースを全部公開したいのに、ライセンスの問題があってできない」
って書いてきたけれど、たぶん、公開することで問題は起こらないだろうと、
いや、たとえ問題が含まれていても勘弁してくれるだろうということで、
TNotePadを含む真魚のソースを全て公開し始めたわけだが、
まるで、これで全ての仕事を終わらせたかのような勘違いにおそわれ、やる気を失った。
ま、ここでおしまいにしても、誰かが必要とすれば続きをやれる状態になったわけで、
もしくは、誰も必要としなければやはり続ける必要がないわけだから、終わりでも良い。
あたし自身に必要とされている限りは、あたしに必要な更新は行うわけだが。

先日、Delphiユーザーは減ったと書いたが、確かに減ったはずだが、
でもたまにDelphiというキーワードと、文字コードとかその他いろいろ組み合わせて、
ググって訪問している人がいるので、かすかに生き残りはいるようだ。
もしその人達が、真魚をビルドすることが出来れば、
ググって知りたかった答えはそのソースに全て書いてあるはずだ。
「車輪の再発明」というたとえがあるのだが、どんな偉大な発明をしても、
それが既に別の人によって発明されたものであっては無価値であるとか、
同じものを発明するだけの労力を、別のものの発明に注げとか言う話だ。
大概の発明はC/C++で行われているので、Delphiしか読めない人には利用できず、
同じ発明をDelphiでも行ってしまうと言うことは良くあり、完全に無駄である。
残り少ないDelphiユーザーであっても、再発明の手間はかけるべきではない。
と、書いておけば、似たような発明のうち、あたし好みでないものより、
あたし好みなあたしの書いたコードを採用させるワンステップになる。
で、自分で作らなくても自分好みなテキストエディタが存在する社会実現に向けての戦略。
何年も書いてきたが、真魚の公開の大義はそこにある。

あたしゃライセンス関連の話に関わるのが嫌いで、読んで理解する労力すら惜しい。
だから昔から、何ライセンスとか書かず、トラブルはお互いに避けようとだけ主張してきた。
今回も何ライセンスとか書かないが、ケンカにならない配慮ぐらいは誰でも出来るだろ。
まず、ソースコードの利用に権利が関わるという考え方自体に大反対である。
パクられたくなけりゃ公開しなきゃ一番安全なんであって、
公開しておきながら、それを誰もパクっちゃいけないと主張するのは特許の手法だが、
特許というのはオリジナリティにのみ適用されるべきものであり、
誰もが到達するであろう道を、早い者勝ちで誰かの所有する道にしてしまうのはおかしい。
プログラミングにおいて、その生産物を特許で保護するのは結構だが、
誰でも似たような事を書くソースコードを保護するという発想は絶対に間違っている。
この発想は、我が社が作りましたという利益追求、自分が作りましたという自己顕示欲など、
自分を頂点とし、自分を超えるものの成長を妨げる発想であり、
踏み台にして積み重ねて成長を続けてきた文明という人類の財産を否定する愚行である。
愚行か正当な権利の主張かは、特許と同様に公正な第三者に判断されるべきで、
勝手に公開して勝手にライセンスを主張する場合は全部愚行ととらえるべきだ。
と、これもこう書くことで大衆を操作したいんであって、でまかせなのだが。
ともかく、こういった考え方のあたしからは、公開している全てをパクって結構ですと。
別に真魚からパクったみたいな注意書きすら一切必要ないし、
全く別のエディタとして名前だけ変えて売り出したとしても、あたしゃ関与しない。
アイコンが気に入らない人はアイコンだけ変更して再配布することも自由。
逆に、クローン真魚を元祖と偽り、いや、別に偽るまでは何の問題もないのだが、
さらにもう一段階進んで、あたしにニセモノの公開をやめろと主張されたら困る。
よって、あたしの言いたいことは、
http://www.kmonos.net/nysl/
に書いてあることと同じようなことなのだが、
これは何ライセンスですという社会に関わってあわせてやることすら嫌なので、
何ライセンスかをあえて書かないし、深く考えない。

ただし、公開したフォルダの中には、よその人がライセンスを主張する部分もある。
VCL改変ソースは、だいぶ前から(D7からD2005への時点)含まれていない。
印刷部分とかモロにTEditorのパクリ/コピペだが、本田氏はパクらせたい派だし。
ユニコード化関連部分やツールバー関連部分とか、そのたもろもろもも、
非公開がマズイことはあっても、公開がマズイというライセンスはなかったはず。
ちゃんと読んでないから確証はナシ。
こだわりたい人だけが勝手に解読すればいいさ。

たとえるなら、人前でパンツを脱げなかった思春期に、脱げば笑いが取れるチャンスが来て、
勇気を出して脱いでみたら、自分が恥ずかしいと思うほどにはその個性に他人の関心もなく、
脱いで笑いを取れるメリットは、脱いで恥ずかしいデメリットを上回ってる事に気がついた、
そんな状況である。

4270001186
4270001186

たぶん関連のある記事:

コメントは終了しています。