[日記的なもの/未分類/2006]

女なら誰でもいい / 2006-07-27 (木)

いや、誰でも良くはない。
むしろ見た目重視であり、目で見た情報で良いか悪いか判断する。
見た目というと、外見の綺麗さばかりを見てそうだが、結構瞬時にいろいろ見てる。
少なくとも、男か女かを見てすぐ判断するためには、結構多くの情報を目から入れてるはず。
未成年かどうかは身分証がなきゃわからないが、制服着てるかどうかは見ればわかる。
結婚してるかどうかは判断できないが、結婚指輪してるかどうかは見ればわかる。
もちろん外見の好みもだが、その人の職業や、一緒にいる人まで目で見て判断してる。
我々は意外なほどに目からの情報に頼って異性を選んでいる。
これは、性欲を働かせる前に、まずは理性を働かせて選別を行っていると言うことだ。

見た目以外にも、立場を考慮したりなど、損得勘定でわりと理性が活躍しているものだ。
やりたいと思った相手に素直にやりたいと言わないのは損得勘定だろう。
まずは見た目による「ふるい」で、相手が性の対象であるかどうかを判断する。
学生時代とかなら、先生とデブ以外だいたいは合格になってしまう。
でも、その合格者全員の前で誰でも良いからやらせてくださいと公募するって事はまずない。
一番やれそうな人に対して、やれそうだなと言う期待が日に日に膨らんで、
ついにはやらせて欲しいと、まぁ、生物学的でない言葉で言えば付き合ってくれとか言う。
またはやれそうなたくさんの人の中から、一番やりたい人を選ぶ。
一番やれそうな人とさえやれそうもない状況ってのもあり、
やれないならお願いしない方が得だという理性によって、あきらめたりもする。
人間は自分を高等な存在だと思いこもうとし、動物的な部分は隠して美化しようとするが、
これらは本能によってもたらされる行動なんだから、ストレートな言葉で書いている。

そして言いたいのは、一見、本能がやっているっぽい行動なのに、主導権は理性ってこと。
理性は、本能をより有効に働かせるためにあり、押さえつけるためにあるのではないのだ。
人が理性によって何か望むとき、その先には必ず、本能による指令がある。
直接従うことを本能的、計画的に従うことを理性的と呼ぶが、ゴールはどちらも同じだ。

より人間的なのは、やはり本能をひた隠しにし、それでも達成されましたよと惚けることか。
あたしゃ完璧にバカなので、回りくどい知恵を使うと疲れるわけで、
なるべくそんなことに労力は使わないように、自分に言い聞かせてダマして生きている。
嫁以外の人間とは生涯やることは出来ないのだと、なんとか言い聞かせたい。
それでもなぜか、やれるのかな?って思うとすぐ判断できなくなってしまう。
いや、正解は常に「やれない」んだよ。
その場ではやれるかなと思っても、それは期待しすぎでそう感じるだけで、絶対やれない。
わかっているのに、女性を見るときは常に、やれるかどうかから見てしまう。
人間をみるとまず、男か、やりたい女か、やりたくない女か、の3種類に必ず分類してしまう。
現実は、男と、やれない女の2種類しかいないことを、いくらがんばっても覚えられない。
やれるかやれないかみたいな大人の冗談で、本当にやりたくて駆け引きしてしまう。
我が家の理性はどうしても本能に頭が上がらないって感じだろうかね。

で、普段ならその、男かやりたい女かやりたくない女かの3分別をしているわけで、
つまりは、特に視点が止まらない男、止まらない女、見てしまう女という感じなわけだ。
ところが昨日、普段なら止まらないはずの女をじろじろ見てしまった。
人それぞれ、見た目でのふるいの基準は違うだろうけれど、
あたしの基準ではその人は、バカっぽくて汚らしくて、年代以外合格しないアウトの人だ。
シャコタンの改造車から巨大でカラフルな髪型をした3人の女が降りたのを後ろから見た。
そのうちの一人が、ローライズかだらしないのか知らないが、ケツが半分出ていた。
そのケツを見てしまったとき、女なら誰でも良いのかと思ったわけだ。
昨日の羅生門とかいう刑事ドラマで、遺体のオッパイが出たときも注目してしまったよ。
エロビデオなら初めから写って当然だから驚かないし、その中でより好みの子を選ぶが、
当然ではない町中でのケツやドラマでのオッパイで、選り好みする機能は一気に崩壊する。
やりたいと思ったわけでないのは確実だが、ふるいの網目が破けてしまったのも事実。

いや、誰でも良くはなくて、理性によって大概はちゃんと選んでるわけで、
選んでるからこそ、自分の生活を脅かしてまでやりたいとは思わないわけだが、
でもとっさの時は、やりたがって利益にならない判断をしてしまうシステムだから困る。
「ヒロシです、スケベなせいで物事が上手く運べません」っていうネタに強く共感した。
はい、スケベです。より多くの女性とやりたいです。数が問題であり、質は問いません。
やりたくない女性はあまりいません。大概の人とやりたいです。
自分では誰でも良くはないつもりだけど、世間から見たら誰でも良い鬼畜のレベルです。

でも、なるべくそのことは言わないように気をつけて生きていく。失礼しました。




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