喜んで頂けた自負

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近所のジジイが死んだので行って黙って泣いて帰ってきた。
あたしはもう人間とのコミュニケーションが自然に出来なくてさ、一人じゃ行くことも出来ない。
嫁に連れて行ってもらって、嫁が挨拶して、会話は全て嫁に任せて、黙って入っていった。
ペコペコすれば良いんだなってのはわかるから、黙ってペコペコして入っていった。
一言も発言せず、ただ棺の前で鼻水をすすりまくってむせび泣いた。
あたしは他人なのに、遺族に慰められると言う逆転現象が起こった。
「90歳まで生きたんだから」って、本来はこっちからかける慰め方なのに遺族に言われちゃった。
泣きまくってるから。
うちのジジイが死んでもどうでも良かったが、この少し距離がある感じが泣ける。
ちょっと前までゴミ出しで顔を合わせてたのにって、なんかこみ上げた。
あたしはただ泣いて、嫁がフォローの会話をして、ホントに一言も発せずに帰ってきちゃった。
人間界むずい。
「パパも喜んでる」ってババアが言うから、死んだ人間が喜ぶと言う表現に反抗心が芽生えた。
あたしは何もしてなくて、ただ訪問して黙って泣いただけなんだよ。
死んで、泣いて、その何を喜ぶって?
喜んでるのはこの発言をしたババアなんだと気付かされた。
そこからはもう半分は本当に泣いてるけど、残り半分が嘘泣きモードになってたかも知れない。

あたしは泣いた自分を高評価してしまった。
遺族の前で遺族よりも悲しむという、半分本当のエンターテインメントを提供した。
あたしが泣けば遺族が喜ぶ。
誰か死んだときにどういう会話をして良いのか全然わからんのよ。
しかしそんなあたしでも、ただ泣いてれば万事上手く行く。
あ、嫁がフォローすればね。
ごちゃごちゃ言葉を並べるよりも、よっぽどババアと長男を喜ばせてきたと自負している。
味を占めてしまった。
あたしには何も出来ないけど、出来る中で最良の行動は泣くことだ。
遺族以上に悲しむことで、遺族に満足感を提供できるのは確実だ。
大成功の達成感に満ちあふれている。
不謹慎ながら、泣きながらもしてやったり感を抱いた。

もうこうなったら何で泣いてるのか自分でもよくわからん。
作戦でわざとやってることだという自覚が出てきてからも、まだ全然鼻水が止まらない。
もう泣かなくて良いのに泣けて泣けて仕方ない。
けど何で泣いてるのかわけわからなくなってる。
作戦が成功したことに陶酔してるんじゃないかって疑念も持っている。
冷静じゃない自分から冷静な自分がもらい泣きしてるような感覚なんだよね。
自分の行動に対して、それやられたら泣いちゃうわぁって思い出して感動してるんじゃないか。
とにかくそう言う半分は邪悪を持って泣いてきた。
泣くってそれだけで恩返しになるんじゃないか、ぐらいな気分。

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