薬や手術などで怒りという感情を取り去っても、日常生活に差し障らないと思った。
もちろん、生物の持っている機能のうち、本当にいらないものは何十万年かけて退化するし、
いらないどころか、ない方が有利な機能はもっと短い期間でなくなっていくわけだから、
怒りは本来必要な機能であり、昔は怒らなければ生きていけなかったんだろう。
生きるための必須スキルは生まれつき、選択スキルは後天的に備わるように出来ている。
ところが現代社会では、怒ることで冷静に損得勘定が出来なくなって、マイナス要因にしかならない。
怒ることで何かをするよりも、同じ事を冷静にやった方が絶対に特をする。
怒りは、まだ野生の中で暮らしていた頃には必要だったが、文明社会ではいらなくなった機能だ。
怒ることで冷静に損得勘定が出来なくなるというデメリットを補い、
たとえば恐怖心がなくなったり、痛みを忘れて戦いやすくなったりするわけで、
冷静な話し合いでは思い通りに行かない時の、実力行使のための、いわば変身に怒りが必要なんだよ。
興奮状態にならないと、逆に殺されるリスクを負ってまで戦おうって気にならないもんな。
でも、今の社会では実力行使してはいけない。
たとえ自分に正義があっても、その正義を直接行使せず、法的手続きによって行うしかない。
もし家族を殺されても、自分で仇討ちをするのはダメで、裁判で死刑になってくれるのを望むしかない。
貸した金であっても無理矢理取り返すのは犯罪だから、返せ返せとしつこくせまるしかない。
何もしちゃいけない。
ただ冷静に抗議し、それで解決できないことを無理に解決しようとすると犯罪になる。
うまく行かないことに怒りを感じるのは、あきらめるよりもっと損なことなのだ。
でも、体には怒りという機能が備わっていて、やられたらやり返そうと自然に思ってしまうわけで、
現代社会では犯罪にあたる行為によって解決したくなることだってあるわけだ。
だからといって、怒りで仕返しして相手に苦しみを与えた所で、自分には何の特もない。
何の特もないだけでなく、せっかく生きている人まで犯罪者扱いとなり、逆に損する。
殴られた時は殴り返しても手が痛いだけだし、たとえケンカして勝っても、相手にケガさせたら訴えられる。
怒りのせいでやっちまいたくなる事は、とにかく損なことだらけだ。
不良の学園ドラマで言う所の、「殴り返したら退学」状態が、卒業しても続いていくんだよ。
自分でどうにかしてはいけない世の中、すなわち世に言う「自力救済禁止」の社会で暮らすにあたり、
自分でどうにかするために自分を奮い立たせる怒りは、あっても損しかしない機能だ。
薬でも手術でも遺伝子操作でも何でも良いから、取り去った方が圧倒的にお得だ。
怒ることで解決法がわからなくなることは良くあるが、怒ることで解決できることが全然ない。
ムカついた時、それをどこかにぶつければせいせいするだろうが、ムカつかなければその必要もない。
たとえ自分が正しくても、怒鳴って抗議すると相手も反発して、全然反省してくれない。
自分が間違っている時も、反省して正しい方向へ向かった方が後々特するはず。
他人に何かされて損した時、これ以上損しない方法とか、損を埋め合わせさせる方法が重要。
ケンカになればそれ以上の損をするし、たとえ相手に非を認めさせても、金でも出なきゃ何にもならない。
お互いあやまれといって聞かなかったりするのは実に無駄だ。
どうしても必要なら怒ったふりをすればいいんであって、マジの怒りはマジでいらない。
怒ってなきゃできない行動なんて、大概はやっちゃいけないことばっかりだ。
よその人はまだ怒りを何かに使えそうだと考える余地があるかも知れないが、
あたしはもう充分に考えた上で、完全にいらないという結論に達した。
だからもう怒り除去薬とか手術とかのモルモットを募集してたら、ぜひあたしにやらせてくれ。
[日記的なもの/未分類/2008]
怒り不要論 / 2008-02-21 (木)
2009/01/09 (金) 更新 ©2005-2009 汁么ゴ魚 by Wantech
Powered by rNote 0.9.7.5



