天才ゆえの苦悩

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 なんかのテレビの予告で、とある日本を代表するような大女優に密着していて、彼女は常に順風満帆だったのではなく彼女ゆえの苦悩を抱えていたのです的なナレーションがあった。これって女優じゃなくてもアーティストでもスポーツ選手でもよく聞く話だね。いろんな事で成功した有名な人だからこそ、それまでの苦労の道のりはテレビで数字が取れる。でもね、そういう成功した人だけが特別他の人より悩み苦しんでいた訳ではなくて、天才じゃない普通の人は天才よりももっとつらい人生を歩んで、有名にもなれず誰にも誉められずに満足して生きているわけだ。あたしはたまたまそのテレビで予告してた女優に全然興味がなかったこともあって、クソババアが何に悩んで生きてたかなんてどうでもいいと感じた。どうせ誰にでも起こりうるようなちっぽけな悩みを、テレビ的に面白おかしく大袈裟に演出してるだけだろうと思った。その、そう思ったあたしの、他人的視点が有効活用できそうだとひらめいた。



 別に特別な人間が何かに悩むのではなく、普通の人間がいろんな事に悩むわけだが、その、自分ではものすごく大きな問題だと思っている悩みでも、他人には小さな事だと言われてしまうのが普通だ。自分は重要な問題を抱えていてもう死ぬしかないんだって追い詰められていても、他人は軽々しく、そんな小さな事で死ぬとか言うなみたいな事を言うわけだ。それに対して本人は、自分の悩みが小さな事だと言われてカチンときて、自分の悩みを他人がわかってくれないと嘆き、相談して損したとか思うかも知れない。自分のことをわかってくれる人がいないとか思うかも知れない。でもそれは完全に逆なんだ。本人が他人の気持ちをわかってないんだ。本人にとってのどんなに重大な悩みでも、他人にとっては小さな事だと言われちゃったら、それは他人の方が客観的に真実を言っている可能性が高い。本人ゆえに公平な判断が出来ず、本来は小さな事を大袈裟に悩んでしまっているってのが真相だろう。いやぶっちゃけどっちが正しいかはどうでもいいんだけど、一つのことについて本人は重大なことだと判断して苦しんでいるのに、他人はその全く同じ問題を小さな事だと判断することが出来ているわけだから、本人は気持ちの切替で苦しみから解放されるんじゃないかって事なのさ。これが今日のポイントだ。つらくて苦しくて死にたい人にとって、果たして死ぬことこそが一番の願いなのかと言われればそうではなく、つらくて苦しい状態から脱することさえ出来れば別に死ななくてもかまわない。本当に望んでいるのは自分を苦しめているものからの開放なわけだ。その開放されたいほどの苦しみが、実は他人から見れば小さな事で、自分が自分を他人目線で見れないことが理由で勝手に大袈裟に考えて自分を苦しめているという問題だとすれば、その頑固な自分の考えをちょっと曲げてやるだけで簡単に開放されるじゃないか。他人がわかってくれないと感じる瞬間がヒントで、そう感じたら逆に自分が他人にあわせてみれば、きっと大きな悩みも小さなどうでもいい事に思えてくるかもしれない。

 どこぞのフィクションで、でっかい景色を見てたら自分の悩みが小さい事に思えてきたとかって言う話がよくあるけれども、景色なんか見たってそうはならんよ。それは他人が誰か悩んでる人に対して、その悩みは小さい事だよって言いたいがために作られたフィクションであって、自分の悩みを小さい事だと自力で割り切ることは難しいのだ。そんなとき、大女優の天才ゆえの苦悩を思い出すといいかもな。人一人がどれほど大きな悩みを抱えていても、他人から見たらどうでもいい事で、自分を苦しめているのは自分の頑固な思い込みだと言い聞かせて、クソ面白くない世の中を余計な苦しみに遭わないように生きていければお得かなぁってな。

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