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肉大好きで自称「肉タリアン」で「ベジタリアン」とは完全に棲み分けが出来ているわけだが。
棲み分けとかいっても、世の中結構バランスの取れた食事が出てくるわけで、
サラダが出たら全部ベジタリアンにあげ、肉は全部肉タリアンがもらえるので、
一緒に食べに行った方がお互いに利益があって良かったりもする。
そんな、本気で肉ばかり食ってる肉タリアンらにとって、肉と言えばやはり豚か牛だろう。
鶏なんて肉の世界では一番の下っ端で、ギリギリ肉扱いできる下っ端って感じだ。
当然、親子丼がカツ丼や牛丼に勝てる日なんて永久に来ない。
肉じゃないけどまだエビ天丼の方が勝てるっていうくらい、親子丼はとても身分が低い。
鶏なんて肉タリアンじゃない人が肉タリアンに憧れて食べるハンパな食べ物。
それがあたしの見解だった。
2年前、比内地鶏の親子丼を食べて、初めてカツ丼以上の満足を得た。
1年前、もう一度確認のために食べてみたが、やはりブロイラーとは別物。
昨日、また同じ所に、今度は昼に食いに行ったが、この鶏はあきらかに豚以上だ。
あたしゃ名古屋コーチンとブロイラーの区別もつかない鶏音痴だから、
その二つが並んでいてもどっちも買わずに豚か牛を買うだろうけれども、
比内地鶏だったら、豚と牛との三つ巴の戦いになるのは明らかだ。
ともかく歯ごたえが別物。うまみも別物。いや、鶏というか、別の肉と言っても良い。
これの区別がつかなかったら肉とキャベツの区別も出来ないだろう。
鶏肉は豚肉より地位が下なので、カツ丼は親子丼より必ず美味しいが、
比内地鶏の親子丼は鶏肉とは言い難いので、カツ丼以上にもなり得る。
この毎年行ってるのは、比内地鶏の専門店、大館の比内やとかいう所。
究極の親子丼というのが一番安くて、極より上の極上親子丼ってのがちょっと高い。
それより上に極み付の親子丼ってのが2,000円である。
親子丼以外の比内地鶏メニューもでる3,000円のコースだかセットだかもある。
去年と一昨年はどうやら3,000円のと、酒を一緒にいただいていたようだが、
今回は昼なので酒なしで、2,000円の極み付というのを、夫婦で一つずつ食べてきた。
あたしゃよく、カップヌードルを誉めるときは容器から誉めるのだが、
この親子丼もまずは容器から誉めるべきで、深さがなくて直径がデカイ。
つまりは、ご飯に対する具の割合が高まるわけだが、カツ丼ならおかずが余って仕方なくなる。
しかし親子丼では具が余ることはない。
これを食べて気がついたが、いつも親子丼に感じた不満は、具の足りなさだった。
特に鶏肉は、タップリ入れてもちょっとしか入ってない感じがして満足したことがなかった。
親子丼だけ、他の丼物とは理想の対ごはん比率が異なっていることに着目し、
この親子丼のための容器を用意してあるという点が極以外の何物でもない。
それが秋田名物の曲げわっぱであることなど、美味しさになんにも関係ないのでどうでもいい。
そしてさらに極、この親子丼は木製のスプーンで食する。
箸で食べれるのは、卵が半熟でない場合か、ご飯の比率が多い場合だけで、
ここまで圧倒的にとろとろ卵でどっぷりだと、確かにスプーンでしか食えない。
スプーンで食うことによって、一度に口に入る量が箸よりも増える。
これで気がついた人は多いだろうが、カレーが美味しく感じる原因の一つを、
この親子丼は宿命的に追うことになっているのだ。
その名の通り、親と子と丼が一度のスプーン運びに全部乗って豪快に飛び込んでくる。
そりゃ、そこらのカツ丼ごときじゃかなうまいよ。
親も旨いが子も絶品で、晩ご飯の時間までずっと卵の味が残ってた。
大館には何もないが、この親子丼を食べるためだけに行っても良い。
逆に大館から来るほど弘前には美味しい物はあるだろうか。
ちなみに牛丼の話のついでに書いておくと、大館の吉野家前を11時に通ったら大行列だった。
その後、2時半に通ったがまだ行列で、4時半にもまだ行列だった。
アメリカンビーフより上手い比内地鶏を、食べ飽きた地元の人達の愚かな行列を笑ってきた。