[日記的なもの/未分類/2006]

靖国の季節 / 2006-08-11 (金)

あたしの主張は変わっていない。
宗教行為を「公約」にすると言う不可解な点に全て集約されている。

どっかの女が、「選挙に勝ったら脱ぎます」みたいな約束をしたことがあったよな。
べつにそれ、選挙に勝たなくたって、脱ぎたきゃ脱げばいいわけだが、
選挙に勝たせて貰った場合だけ、謝礼として脱ぐわけで、票を集めるために約束したのだ。

それと全く一緒で、もし小泉純一郎が本当に個人の問題で参拝するというのなら、
公約とかしないで勝手に参拝することに対しては誰も文句は言えないし、
例え総理大臣であろうが、プライベートでなら宗教をやっていても関係ない。
過去の戦争は肯定しないって言ってるんだから、外国に非難される覚えもなんにもない。
公約として行くから問題であって、誰の車で行って誰の金を賽銭に使おうが、
それは票を集めるための参拝として以外受け取りようがない。

世論を聞いてわかるとおり、参拝はしない方が良いと言う人と、参拝はしても良いと言う人、
賛成ではないが外国に言われてやめるのはよくないという人、
全く無関心でどうでもいいと言う人などはいるわけだが、
「純粋に参拝して欲しい人」はごく少数で、少なくとも周りで聞いたことがない。
だのに国会には純粋に参拝したいのだと嘘をつく人がゴロゴロいて、全く信用ならない。

票を集めることが出来る何らかの組織に依存しないと、選挙で勝てないのかな。
そこが靖国参拝を条件に掲げてたら、宗教行為さえ公約にしてしまう。
参拝は明らかな宗教なんだから、公約として持ち込んだらいけないんじゃないのか?
こういう変な癒着がある人が選挙で勝つことが、果たして本当に民主主義なのか。
民主主義ってのはタミがアルジって書くのに、現状はタミが国に支配されているよな。
本当は、選挙権があるからには個々が国のことを決めれることのはずなのに、
誰に投票してもどうせ組織票にはかなわないと言う現実があるわけで、
組織票が癒着で動く世の中は民主主義とは言えない。

民主主義を語るにはまず、癒着団体からの集票はストップしなきゃいけない。
その最たるものが、神社の参拝という宗教行為を国の公約にさせるような団体であり、
分詞だ合祀だなどという問題や、第三国の干渉が云々や、東京裁判の意味がどうのや、
それ全部後回しにして、まずキッパリと、政治と宗教は分けるべきだ。
神など登場するな。
変な団体からの集票を断ち切れば、分詞だろうが合祀だろうが戦犯だろうがもう議論はいらない。

小泉さんは、自分は参拝しているよとアピールしないとその世界で生きていけないんだよ。
だから、嘘で「参拝しない」と言ってコッソリ隠れて行くこともできるのに、実際そうしない。
そして今、次の総理になりそうな人の何人かは、直接的にか間接的にか、
また変な団体に参拝の誓いを立てているわけだが、結局それは民主主義自体の否定だよ。

個人だか政党だか派閥だか知らないが、確実に意味不明団体と政治が癒着してる。
靖国問題を語るなら、ここだけを問題にすべきなのに、どうして周辺情報ばかり言われるのか。
触れちゃいけないタブー扱いなのか。

おかしな行為を説明するためにおかしな言い訳をするから、国民は納得しない。
政治家が靖国を参拝し、なおかつ参拝しましたよとアピールするのは、
癒着団体へのパフォーマンスだよということをまず、この問題を扱うたびに言わなきゃいけない。
そこさえはっきり言っておけば、もう誰も昔の戦犯の事など議論することもなくなり、
とにかく癒着を無くそうの話で統一できるわけだが。




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