棒読みの正体
芝居が下手な人をテレビで見ると棒読みだってディスるじゃない。
でも、その棒読みって言われてる状態を見ても、別に棒読みしてはいないんだよね。
そもそも、テレビの人は棒読みしないことに注意して演技してるわけじゃん。
役者が新人だとしても、監督なり全員が新人じゃあるまいし、棒読みには注意してる。
そこが落とし穴だという話。
実は皆さんが棒読みと呼んでいる状態は、棒読み以外に適切な言葉が存在しないだけだ。
演技である事が丸出しの状態って、そりゃ誰が見ても下手だなって思うよ。
その下手だなって思ったときに使える言葉が、棒読みって事になってしまうだけ。
誰が見ても下手なんだけど、棒読みかと言えばそうではない。
むしろ、棒読みしないことに注意が行ってて、ただ棒読みでないだけで下手な状態。
でも何がどう下手なのかは、きっと指摘できる人が少ないんだろう。
出来る人は言われなくても出来るから、出来ない人に指導できないんだよね。
見て覚えろとか盗めとか、あるいは実際に自分がやって同じにやれとしか言えない。
問題の根本がどこにあるのか気がつき、どこを直せばいいかはわからないんだろう。
というか、わかってる人がいなかった場合に、テレビで棒読みを目にするんだろう。
わかっている人が作ってたら、新人でも棒読みにならなくて済むのかも。
その、どこをわかればいいかの話。
簡単に言えば、セリフに抑揚をつけても感情を乗せてもダメで、間が必要になる。
適切に間を入れずに、ただ悲しいときは悲しそうに見たいな表現は棒読みと言われる。
どうして適切な間が入れられないかというと、セリフが決まっているからだ。
演技ではない実生活では、必ず自分の言うセリフを考える時間が存在する。
相手がしゃべった内容を聞いて理解して、自分も考えながらしゃべることになる。
しかも人間が何かしゃべるときは全て、しゃべる意図が存在し、意図の実現を企てる。
これをしゃべることで相手にどう思って欲しいか、何をして欲しいかが決まっている。
意図ではなくセリフが決まっていると、考えてセリフを変更することはない。
他人が言ったことに何かしら感じて、考えて、相手にどうして欲しいか決めてしゃべる。
だから、セリフが決まってて、しかもどう抑揚をつけるかも決まってて、
どんな感情を乗せるかも決まってると、現実と違う間に違和感を覚える。
「え?私には出来ないわ!」って、感情を乗せても必ず棒読みになってしまう。
それは「え?」と驚いた人が、次に何を言うか決断する時間が早すぎるからだ。
「え?」がなければすぐに出来ないって言ってもおかしくはない。
「え?」って言うくらいだから、この一瞬でいろいろ考えてるんだよ。
素人が棒読みだと言われる代表がこの「え?」とか「なんだって?」だよ。
どんなに感情を乗せても棒読みだって言われるのは、棒読みしないことを考えてるから。
たとえわざと棒読みしても、何を言うか考えたっぽい間を入れれば棒読みじゃない。
棒読みという言葉に惑わされているんだ。
自分の言うセリフが決まっているせいで、相手の言う話を聞いて考えていない。
その不自然さを表現する言葉がないせいで棒読みって言ってるだけ。
「そ、そんな」の最初の「そ」が不自然な演技で棒読みって感じるよな。
これも最初の「そ」と次の「そ」の間に、活字で「、」を入れちゃダメなんだよ。
むしろ「。」を入れるべきだ。
これは自分のセリフが二つ続いてるだけで、セリフを発する理由が違うんだよ。
何を言うか決まってないけどすぐ言葉をだしたくて「そ。」
そこから少し考えた上で「そんな」という発言をしたくなるまでの間が必要だ。
この例からもわかる通り、棒読みかどうかは、読んでないサイレント部分で決まる。
棒にならないように読んだところで、実際に見てる人は読んでない所を感じている。
でも読んでない部分を表す言葉がないせいで、棒読みって言葉を使ってしまう。
すると棒読みって言われたくないから読んでる部分にだけ意識が向いてしまう。
大袈裟に演技する必要はないし、感情を乗せて抑揚をつける必要もない。
ただ、セリフが決まってるとペースが速くなるから気をつけろって事。
そう言われるとゆっくりしゃべってしまうが、ゆっくりじゃなく息継ぎを長くしろ。
考えてしゃべってるふりは難しくとも、息継ぎで誤魔化せば良い。
間が長すぎて演技がうざいって言われるかも知れないが。