わかり合うと言う事

2016年02月10日 水曜日
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別にガンダムの話をしたいわけじゃないんだけど、最近ダブルオーを見返したのよ。
鉄血のオルフェンズでフミタンを見たら、ダブルオーでこんなのいたなと思ったから。
宇宙世紀でもそうだけど、戦争しないために互いにわかり合う能力を獲得するのね。
エヴァなんかだと人類補完計画がそれに当たるわな。
人と人とがわかり合うと言う事を、人々は一つの理想として掲げているわけだ。
いろんなフィクションに綺麗事として登場するわけよ。
どうなればわかり合ったことになって、どうなればわかり合ってないのかしらね。
私はこう思う、あなたはこう思う、違っていますね、そうですね、はわかり合ってるよ。
私が正しいからあなたが私にあわせなさいって思ってるとわかり合ってないのよ。
人は人に理解を求めているわけではなく、理解して考えをあらためて欲しいのよ。
相手が考えをあらためないから、理解されてないという言葉を使うだけ。
自分は正しいから、理解されさえすれば相手はあらためるはずだと思ってる。
理解するが賛同できない、などと言われれば、それは理解してないからだと主張する。
ええ、つまり上記アニメでわかり合いを求めてはいる風に表現してはいるが、
実際はわかり合いではなく利害の一致を求めてるのであり、
そりゃ利害が違って戦いが起こってるんだから、利害が一致すれば戦わないよと。
こうすれば良くなる、そんなことしても良くならない、なぜわからない、戦う。
どっちかが考えをあらためれば戦わなくて済む。
理解しても考えをあらためないなら戦いは起こる。
理解するとは、相手が自分にあわせてあらためることになってしまっている。
自分と相手が同じになれば良いけど、相手を自分と同じにしたがると争いが起こる。
わかり合いなどと綺麗事を言うが、自分の考えを相手にあわせてあらためる気はない。
じゃあ最終的に争わないためには、自分を理解させることをやめるしかない。
たとえそれで自分が殺されたとしても、自分の正しさを主張しない。
相手を理解し、自分を理解することを求めない。
それはわかり合いではないが。



ダブルオーでは最後に異星人とわかり合いを試みる。
人間の能力ではキャパ不足で、異星人をまるごと理解することは出来ず、脳が損傷する。
理解させる側にはあまり能力がいらないけれど、理解する側には能力が必要だって事。
人というものを猿に理解させたくても、猿に理解する能力はあるかしらと。
いや猿だったら、まるごと理解しなくても少々理解すれば誉めるだろ。
犬でも猫でも、飼い主の気持ちを少しわかってそうに見えるだけでも偉いだろ。
でも相手が人間だと、まるごと相手が自分と同じにならないと理解不足ととらえる。
まぁ、人間ごときの理解する能力はたいしたことがないし、
そもそも、理解する気がないのに理解させようとしてる方が無理矢理なんだよ。
相手は自分にあわせる気がないんだから、自分があわせれば穏便に済む。
正解があるなら自分も相手も正解に辿り着くわけで、
自分と相手の考えが違っていると言うことは、どっちも正しくはないんだよ。
いやたとえ自分が正しかったとしても、相手は間違った考えで生きて来れたんだ。
その自分なりに生きてきた正解を、他人に無理矢理上書きされるのは迷惑だろう。
理解する能力とは、自分が正しいと思ってることを疑う能力ということだわな。
それを相手に求めることが無理であり、自分だけ相手を理解すればそれで良い。

性的マイノリティの人が、そうでない人に考えをあらためさせようとするじゃない。
そう言う分類する言葉すらないマイナーな心のマイノリティであるあたしは、
メジャーなマイノリティと違って、もはや多数派が少数派を理解するとは思っていない。
つまり少数派のあたしが多数派に説得されるかどうかだけが接触であり、
多数派が少数派にあわせてくれる接触は一切期待してない。
こっちがそっちを理解したいからもっと情報をよこせ。
こっちの情報は与えても無駄だから黙って聞いていたい。
わかり合いはいらん、勝手にこっちだけわかって対策して行きたいわ。
人間どもの考えたわかり合うという綺麗事など、人間どもには出来るはずもない。

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