幸福は自分で作れるかも知れない

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 普通の人は世界を変えることなど出来やしない。もちろん自分すらも変える事は出来ない。だから不幸な人が幸せになる事は出来ないのかって言うと、あたしはごく最近、誰でも自力で幸福をゲットできるんじゃないかと思い始めている。ぶっちゃけ、他人から見て不幸そうでも自分が幸せならいいんだよ。そのくらいなら出来そうだよ。ただしマジでかわいそうだと思われるかも知れないが。ブータンの人は他国の情報がほとんど入ってこなかった時代、みんなが幸せを感じて生きていたわけだが、情報が入ってきてからそうでもなくなったらしい。すなわち世界中の人が自分たちよりも楽して贅沢に暮らしてるんだと知ってしまうと、それまでと同じ暮らしが幸福だと思えなくなってしまうわけで、結局、幸福かどうかは現実を受け止める本人次第なわけだよ。じゃあ逆に今は不幸だと感じている人も、本人の気持ちの持ちようで幸福になるであろう事はうかがい知れる。でも現実問題として、不幸な人を幸福にするために、具体的に何をどうすればいいんだって話。この話の結論は非常に宗教じみていて、あたしとは違うアプローチで同じ結論を出している人もいるだろうし、あたしはそういう人とは同じに思われたくないんだけど、まぁ答えが同じならしょうがない。あたしはそういう宗教みたいなもんかもな。



 まず幸せって何よだ。お金がなくて困っている人がいっぱいいる中、お金には困っていないって人もいるわけで、それは幸せかと言えば、そりゃはたから見たら幸せだ。逆に貧乏で苦労している人は不幸かと言えば、それもはたから見れば不幸だ。それでも本人がどれだけ幸せだと感じているかはわからないわけで、貧乏でも幸せいっぱいの人もいれば、金持ちで不幸な人もいる。健康ならはたから見れば幸せで、家族がいる方がはたから見れば幸せだけど、それらは全てはたから見ての幸せであって、どれだけ好条件が揃っていても本人がどう感じているかはまた別だってことだ。ブータンの人より全てにおいて恵まれていたとしても、ブータンの人の方が幸せを感じているかも知れない。恵まれていれば幸せだという時代ではないんだよ。そりゃ恵まれていないよりは恵まれている方が、もしかしたら幸せを感じやすいかも知れない。それでも、とっても恵まれているのに不幸な人はいるわけだ。そこで幸福をどうやって感じるようにするか、不幸をどうやって感じないようにするか、そのテクニックを模索している。

 そもそも情報化がなされてしまったせいで、昔はいろんなジャンルで村で一番なら世界で一番だったのに、今は少しくらい人より勝ってたって全然すごくない部類だとすぐわかって、何か得意でも面白くなりにくい世の中になってしまった。でも実は自分より上もいっぱいいるけど下もいっぱいいて、上とばっかり比べるから挫折するんであって、下と比べれば少しは満足するはずだ。ブータンの人だって自分より上と比べたから幸福度が下がったのであって、下と比べればむしろ幸福度は上がるはずだ。だのにどうしても人は上と比べる。だって向上心があるんだから、よりよくなろうとすればよりよい他人と比べるのが当然だ。自分より不幸な人を見て、それよりマシだから幸せだっていうテクも確かに使えなくはないが、それ以上に自分より幸せな人と比べたがる本能が強い人はどうすれば良いのかと。あるいは、実際に他人と比べれば比べるほど不幸を実感せざるを得ない恵まれない環境の人はどうすればいいのかと。多少の恵まれた人しか自分は幸福だと思えないのかと。そこでテクニックを使う訳だ。

 人をうらやみ嫉妬すればするほど、自分はその相手より不幸だと思い詰めてしまう。「あの人は私から何もかも奪っていった」などというセリフは、自分がその人より不幸だと考えるきっかけになってしまう。「オレだってあの時決断していれば、あいつより上に立っていたんだ」などと考えるほど不幸になる。他人と接するとき、その人のいいところをうらやましいと思って見ちゃうほど、自分は不幸を感じてしまう。そうなってしまうと、たとえ自分にも別のいい所があるとしても、それを理由に幸福だとは納得出来なくなる。人と多く接するほどに自分はダメだと思ってしまうあたしのような輩はどうすればいいのかと悩んだ挙げ句、とにかく他人は感謝の対象に仕立て上げてそれ以上考えない事が一番幸せなんじゃないかと気がついたんだ。誰と話してもとにかくありがたい。皆様のおかげで生きている。殴られようが殺されようがとりあえず感謝する。ひとりぼっちで感謝する相手がいないなら神にすら感謝する。感謝は強制的に自分を幸福だと思わせ、相手を比較対象から外す。自分より恵まれている相手をうらやむのではなく、自分より恵まれていてくれてありがとうにしちゃえば良いわけだ。具体的に何が起こったとき感謝かっていう細かい話が煮詰まって、一つ一つQ&Aで問答する本でも出せばもう宗教が一つ出来上がりそう。

 他人に感謝しまくるように自分を変えるというのは容易ではない。でももし、今幸せでない人が自分の心一つで幸せになれるとしたら、みんなでやる価値がある。ところがこんな「人に感謝する」等という昔からある宗教見たいな事を、信じてやりたがるバカは相当バカだ。それって結論だけ言うからうさんくさい話なのであって、バカじゃない人でも自分でよく考えて納得出来るほどの根拠を上げれば信じるだろう。でも普通はその根拠からして聞く耳持たないよな。あたしの場合、人間の心なんてたかが化学反応に過ぎず、様々な薬物で幸せを感じたり感じなかったりも出来るものだと知り、幸せかどうかが実際に恵まれているかどうかとは別の、単なる心の問題だと確信している。だから恵まれない現実を変えようとするのではなく、むしろ現実から逃避して自分の心を変える方が幸せになれるはず。幸せがないなら作るしかない。幸せがあっても感じられないなら感じるようになるしかない。感謝を他人のために使うのではなく、自分のためだけに使うのだ。自分さえ幸せならそれでいい。自分勝手に感謝しまくる。これが最近考えている幸せを自作する方法だ。

 でもなかなか実践出来ないからあちこちに書いて貼っておいた方がいいかも。そしてしょっちゅう言葉に出した方が習慣が体に染み込むかも。宗教みたいにな。これをやって自分自身が幸福になったとしても、他人から見ればかわいそうだなぁって思われるよな。そう思われてもいいじゃない。幸せになれるなら、不幸だと思われてもいいじゃない。

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