菅原初代とギャル曽根

あたしが初めてテレビでギャル曽根を見たのは、ブラックバラエティーだ。
有名芸能人がゲームに挑戦し、勝てば料理を食べられるという内容だったが、
従来は、その食べられずに余った料理は誰が食べるのか、あるいは捨てるのかについて、
あまり深く追求されていなかったが、この番組では大食らいに始末させると言うことになった。
その時、ギャル曽根を「味もヘッタクレもない」等と紹介することで、
せっかくのおいしい料理をこの子に食べさせるのはもったいないという印象を醸し出していた。
確かに見事な食べっぷりで、こんなにたくさん食べる人が、料理をあまり味わってるとは思えず、
とにかく腹の中に入れるだけの、食事ではなく曲芸なんだろうと思ってしまった。

その後、ギャル曽根はいろんなテレビで見かけるようになり、あたしは異性として気に入った。
もちろん、あんな不経済な子と付き合いたいとは思わないが、男女の関係を持ちたくなる魅力を感じる。
大食いを売り物にしてる女なのに魅力を感じてしまうのはギャル曽根だからであり、
大食いの番組が面白いと思ったのもギャル曽根だからであり、他の女の大食いは気持ち悪い。

ギャル曽根が目的で大食い番組を見たら、菅原初代というカマキリみたいな人が優勝した。
この人は多く食べる事しか考えてないようで、単に食べるだけでは面白くないことが、この人でわかった。
ギャル曽根はやはり、単に多く食べると言うことではなく、食べている姿を見るのが楽しいのだ。
特にあたしの場合は、異性としての魅力も感じているから、ついついうっとり見てしまうのだ。
食べている姿を見せるというエンターティンメントが存在するのだ。
それとは反対に菅原初代は、勝ちたくてただ食べているようで、この人こそ「味もヘッタクレもない」様子だ。
食事中に気合の叫び声を出してみたり、座ったまま小さくジャンプを繰り返し胃を整理したり、
大食いのためのテクニックと思われる奇行がとっても気持ち悪い。
そこまでして多く食べるなよ。
ギャル曽根は多く食べる事だけを評価されてるんじゃないし、
菅原初代は単に多く食べてもそれだけでギャル曽根みたいに評価されるわけがない。
アイツは勘違いして食っている。
多く食べる事が偉いんじゃなく、こんな子が多く食べるんだというギャップが偉いんだ。
多く食べようという意気込みを見せるのもテクを披露するのも逆効果だし、
単に必死に食ってるだけの姿は見苦しいだけなんだ。
これは菅原初代に限ったことではなく、ギャル曽根以外の大食い女がみんな気持ち悪かった。
汗書いて必死で食っても、その番組で勝てると言うだけで、ギャル曽根みたいに有名にはなれない。
大食いが好きな人には受け入れられても、大食いが好きではない一般人には受け入れられない。
ギャル曽根より多く食べれるからって、ギャル曽根のかわりの大食いタレントにはなれない。
だからそう必死で食べるな。
だいたいこの食料の物価が高騰してる中、よその人の何倍も食べるなんてもったいないじゃないか。
ギャル曽根がいなかったら大食いなんてバッシングされてテレビでやれなかったかも知れん。
単に多く食べる事だけを目指し、それでギャル曽根のポジションに行けると思ってるなら勘違いだ。

よく、カラオケがうまくなりたい人に対して思うのだが、彼らは、うまくなって人に聴かせたがるだろ。
自分一人で楽しむためにではなく、自分を歌のうまい人として他人に見せたがるだろ。
しかし、別にそいつの歌がうまくても、周りの人がその歌のうまさで楽しくはならないんだよ。
他人に芸としてみせるなら、他人を楽しませる目的があるはずで、勘違いして上手さを求めるなよ。
歌がうまくなっても芸能人みたいに魅力的にはなれないんだぞ。
それは、芸能人が歌で観客を楽しませているのに、素人はうまいと言われたくて歌うだけだからだ。
エンターテインメントなのか勝ちたいだけなのかという、やる目的が全然違っているのだ。

ギャル曽根を目指す大食いの人達は、カラオケがうまくなりたい人と同じ。

たぶん関連のある記事:

コメントは終了しています。