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真魚のMDI化に伴ってだいぶいじくり回したので、差分を取ったからってMDI化に関係するところだけを元に戻すなんて事は無理だった。でも別に全部元に戻さなくても、明らかなところだけ戻したらモノはちゃんと動作した。一通りいろんな操作をしてみておかしい動作は見つけていない。と言う事はこれでバージョン2.31.0アップデートだ。ちょうど一年ぶりに更新した。ただし今回はそのタブの部分だけだ。まだやる事がいろいろあるので、その辺やりながら潰していこうかと。
今回の真魚の修正のために自分で自分の日記読んでて、自分の偉大さに関心した。こんなに使う側に立った開発してる人いないだろうよ。使う側の要望を聞きまくる人はいくらでもいるだろうが、そんなのは選挙でみんなにいい顔する政治家と一緒なんだ。現実として政治家として生きて行くにはそうするしかないわけで、ソフト開発だってお金がからめばそうするしかなくなる。お金なんか必要のない政治家なら、みんなにいい顔するんじゃなく本当に自分のやるべき事を堂々と掲げて実行出来るだろうけど、まぁ日本じゃそんな活動してたら選挙に勝つことは出来ない。だから政治家は救いようがないんだけど、ソフト開発を無償でやってる人は別に誰の意見も聞かなくてもやっていけるわけだ。聞かなきゃわからないことばっかりだから当然聞いた方が良いけど、聞いたらホイホイやりますってのはもう救いようがない政治家と一緒なんだ。聞いた上でお断りしてそれより優先して我が道を掲げて真魚を作ってるのに、向かうところが使う側の立場を考えた発想ばかりな自分が偉大すぎる。尊敬した。もともと、あたしなんかが作るテキストエディタはろくでもないモノなので、よその立派なテキストエディタにあたしの理想を取り入れて欲しくて、提案みたいな感じで作ってるところがたくさんあったんだよ。その提案ってほとんどが、元からある機能がどうやればわかりやすくなるかっていう点なんだよね。わからない機能をわかるようにするだけで、わからない人には機能が増えたような物だからね。そっち方面を突き詰める人っていないし、あたしが理想とすることをやってる人があたしにとって偉大な人なので、つまりあたしにとってあたしが偉大なのは当たり前なんだよな。そしてそれは理想なんか掲げたって世間とずれてる政治家は選挙で勝てないのと同じで、あたしがこうなって欲しいと思ってるような方向には誰も進んでくれないし、他のテキストエディタは真魚みたいにはなってくれないので、やっぱり自分用は自分で作るしかない。あたしの進みたい方向に進んでくれるのはあたしだけだ。
年とってだいぶ衰えてもうダメかと思いつつあったが、去年の時点でここまで偉大ならまだまだ行けるわ。もっと作りたくなってしまった。
最新の真魚をいじって古いタブ式に戻すのは大変すぎると思って諦め、古い真魚をいじって新しい要素を足していこうって事で、まずこの自分で書いてる日記を読み返している。真魚に添付している更新履歴には、更新内容を箇条書きにしかしてないけれども、日記にはなぜそれを実装したのかを事細かに書いてある。もう書きすぎだわ。いくら読んでも終わらねぇ。しかしその書きすぎな内容を読んでいると、いちいち同意せざるを得ない。何もかもが、確かにそのように更新すべきだと納得させる。古い真魚に新しい要素をつけるのであれば、決して外せないという部分を抜き出す作業をしていたところ、あまりにもそれが多くて予想外だ。去年のDelphiではあまり作業してないつもりだったが、やたらとやってるじゃないか。これだけいっぱいやってたら、新要素を抜き出してコピペするより、旧要素を抜き出してコピペした方が早そうだぞ。ってところが今なんだ。まだ日記を全部読み返してはいない。どんだけ書いてんだよ。
しかも今やりたい事は元に戻す事だけじゃないんだよ。自分で書いたことを読めば読むほど、もっとやりたいことが増えてしまった。そもそもMDI化ってのは、タブ式の弱点である並べての表示が出来ない事を補うという意味で、必要でやったことなんだと読み返してわかった。MDIのウィンドウをタブではなくタスクバーで切り替えるという、新しいWindowsの標準に期待してそれをやったわけだが、まぁWindows8がこのザマだし真魚も完全に頓挫だわ。そのMDIをやめようってのが今回の最大のテーマだが、必要でやってることをやめるからには、何か代替案が必要だろう。代替案はもう決まってて、やはり複数ウィンドウの表示なんだわ。これもやるとすればいろいろ解決しなきゃ行けない問題があるんだけど、今あるアイデアはそれらを乗り越えることが出来そうなんだよね。
あとこれもそのMDIの代替案としてって事で考えてたことなんだけど、自前で複数ドキュメントを並べて比較出来ないなら、よそのアプリを並べれば良いわけで、よそのアプリをより起動しやすくするためにどうするかって事を考えたら、今スクリプトツールバーってのをやってるけど、そこにスクリプトだけじゃなくよそのアプリを登録出来れば良いんだよ。メッチャ使えるじゃん。
他にも文言なんかをもっともっと既成概念にとらわれずに変更していきたいと思ってたりするし、細かいところでまだどうしたいか迷ってる所もある。なんだ、いろいろやりたいじゃないか。他のことをいろいろやりすぎてほったらかしだったが、真魚の方もやろうと思えばいくらでもやる事がある。まぁ、やったところでWindowsがあたしの思ってる方向に進化してない以上、真魚の行きたい方向はもう閉ざされているわけで、そういう意味ではかなりテンション下がってるんだけどね。
最近、もう歌が急に上手くなったと言う事が当たり前になりすぎて、自分の今の歌の上手さに感動が少なくなってきて、しかもさらに今以上に上手くなるのも難しくて、なんだか歌い飽きてきた感があったんだけど、「薔薇とローズ」を歌い始めてまた楽しくなってきた。この曲は何かのCMで使ってたからサビだけ耳には残っていて、でも何のCMかもわからないほど全く興味のない曲だった。あたしがCMで最近好きになったのはマルハンのstill waiting forナンタラって歌ってるやつで、特に終わりの部分のアアアというところが好き。一青窈のエエイアアもそうだが、ついつい歌詞は意味のある言葉で作ろうとしてしまうところを、音だけでやっちゃうという発想があたしには出来ないので、その自分にはないところに惹かれるんだよね。たかがCMの短い時間の引用された曲でも好きになるものはあるんだけど、「薔薇とローズ」は何ら魅力を感じなかった。自分では魅力を発見出来なかった曲だけど、テレビでその歌ってる人物がフィーチャーされてて、ガツンと高い音を出す曲なんだよって事を言ってたのをみて、あたしもじゃぁそのガツンと高い音を出す曲を歌ってみようかって事で、運転用ラインナップに追加した。
それで歌ってみて、確かにサビの高いところは本当に力入れて歌わないと音程を安定させられない。でも力を入れて高音を出してると裏声のところが上手に歌えない。裏声は裏声だけだと別に難しくないのに、裏声じゃないところを上手に歌おうとするほど裏声に切り替えるのが難しい。そして裏声のあとまた復帰したときも油断しがちで、その裏声のあとの最初の一音をガツンと力入れないとまた音程を安定出来ない。つまりこの曲は練習的な要素があって楽しいんだよ。UVERさんを練習したときもオーモイデーのところの裏声が難関だったり、高いところを高く歌うのが精一杯で格好良く歌えるまでかなり練習を要したわけだが、それみたいな感じだわ。んでもってその難しい高音部分を歌いきってサビの終わりのハジーマリーの「リー」でしか低音が出てこないんだけど、そのリーの時の自分の声が好きすぎて、ご褒美みたいで楽しいんだわ。本当に自画自賛だけどな。マジでここ数年は家族しかあたしの歌を聴いてなくて誰にも披露してないんだけど、あたしは誰かに上手いと誉めて貰うためじゃなく、自分の良い声に自分で酔いしれるためにだけ、車の運転中に目を閉じるほど本気で歌ってるわけだ。
んで最近はドラマの主題歌で亀梨と玉置が一緒に歌ってる訳だが、それのちゃんとレコーディングされたヤツじゃなく番組で生歌を歌ったヤツを聴くと、やっぱりアイドルと歌手の歌唱力の違いを実感するわけだ。あたしは別に上手い歌を聴きたいという欲求はないので、以下に歌手の歌が上手くたって感動はしないけれども、でも確かに亀梨の歌は亀梨本人の魅力で成り立ってるもので、玉置の歌は本人の魅力は関係なしに歌だけで人を魅了する声だなぁと理解出来た。一言で上手いって言えば何がどう上手いのかよくわからない話だが、最終的には上手いって言うか良い声なんだよ。良い声じゃなければ技術はどうあれお金にはならない。歌手ってのは良い声だからやっていけるのさ。んで、あたしが自画自賛で近年やたら上手くなったと言ってるのも、これは技術より良い声が出せるようになったという話なんだ。あたしなんか声は良いけど技術はまったくないよ。そう言えば高校生くらいの時に声は良いとか言われたことがあって、でも意味わからなかったんだよね。今はかなり良い声をコントロール出来るようになったし、たぶん他人が聞いてもやたら上手いよ。自分で酔いしれてるくらいだからな。