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どうも、儲かると言うことに罪悪感を感じてしまったりするクセが付いているようだ。
このことについては、昨日書いたように、応援団とEBAの比較をしていて強く感じた。
例えば応援団に出てくるラーメン屋のストーリーでは、
客が来ない店に行列が出来て、ついには雑誌でナンバーワンになるという話だが、
ここでもし、いくら儲かってるのかとかいうお金の話をすると、とたんに応援したくなくなる。
このストーリーの場合、お金が儲かった結末ではなく、名声を勝ち取った結末がふさわしい。
OLのストーリーだって、恋愛の成就がメインであり、ジュニアの財産目当てじゃ応援出来ない。
このように日本人向けのストーリーでは、お金儲けを美徳として表現していない。
むしろ、金のことを考えないで努力することこそ美徳とされ、金のためとか言うと悪く言われがち。
また、たとえ成功という結末が出なくても、がんばったという点だけが評価されがち。
ところが、EBAのストーリーは露骨に金儲けのアメリカンドリームだったりする。
日本で精神論ばかり唱えている間に、目に見える数字を成功の指針にして平気でいる。
石油王のストーリーで、金がなくなって縁が切れた女と、儲けたらまたよりを戻す。
その女の目当ては金だと言うことはミエミエなのに、金を与えて自分の物にする。
海賊船の話も、日本だったら発見しておしまいだが、EBAは金持ちになるところまで見せる。
何か良いことをしたら、誉められる、感謝される、で日本のゲームはおしまいだが、
アメリカのゲームは相応の報酬を貰うことがラストシーンになりがち。
ひょっとして、金のためだとか言っても悪く思われない文化なのだろうか。
あるいは、努力しなくても運で大金に辿り着いたらアメリカンドリームなんだろうか。
ゲームに限ったことではなく、日本には金儲けを悪と考え、努力を善と考える文化がある。
優等生の良い子ちゃんほど、大人に誉められる人間になろうとがんばっちゃう傾向があり、
無駄な努力が好きで、金儲けしたら嫌われるんじゃないかとビクビクして生きている。
そういう人がどういう人生を選ぶかというと、もちろん公務員。
本来なら、結果をフィードバックしながら努力の方向性を修正して、より効率を高めるべきだが、
成果は無視してただひたすら、頭を使わず一定方向の努力だけを行う。
給料は貰って当然な身分だから貰うのであり、何に対する対価かは考えない。
給料を多くもらえる身分の人間になることが目標であり、より稼げる仕事をするつもりはない。
金を欲しがるのは恥ずかしいが、金がもらえる身分になるのは立派という解釈だ。
日本人は本当に公務員に堕ちやすい民族だと思う。
でも、起業して儲けを出して生きていけるのは、金儲けが怖くない人だけ。
デキの悪かった子は、デキの悪い起業をして失敗しがちだし、
変に優等生だった子は、露骨に儲けることには恐怖を感じ、
まじめに努力してれば神様か何かがお金を与えてくれるシステムを望んでしまう。
ま、それが公務員って事だが。
あるいは終身雇用で安泰だった頃のサラリーマンとか。
あたしゃ自営業やっていながら、お金儲け恐怖症の自覚があり、
なんとか克服してちゃんと稼がなきゃと常に思っている。
人生がこんなに長いとは思わなかったという大誤算。