アートすなわち芸術を名乗って、一般人にはわからないものを作り続ける人が多い。
中には、その作ったものがエライ人に評価されて、有名になって金持ちになる人もいる。
しかし世の中には、それと別の意味でアートという表現を使う場合が多々ある。
音楽なら何でもアートなのか、絵画なら何でもアートなのか、という話をしなければいけない。
クラシック曲ならアートかと言われてもそれもやはり違う。
少なくとも、売れるための曲を作る人は職人であり、アーティストではないだろう。
逆に、彼らの方がアーティストなら、好きでやってるだけの人はアーティストを名乗れないな。
そういうちょっとした憤りもあり、自称アーティストには多少の嫌悪もあったのだが、
もちろんその嫌悪は、商売目的でやってる人に向けられている。
アートとは何かを論ずる人のうち、どれだけの人がわかってしゃべってるのかもあやしい。
だから、アートとか芸術とか言われると、あたしゃチョッピリひいてしまう。
こんな、腹の立つ話だから、普段からアートがどうのと言う話題は出さないし、
あまり考えることもなかったのだが、先日、NHKの海外ドラマでふと考えてしまったのだ。
そのドラマってのが結構面白くて、毎週タイムマシーンで過去の偉人と会うっていうシリーズで、
その週は、ナントカっていう女の画家がでてきて、アートについて講釈をたれたのだ。
もちろんいつも通り、あたしゃその講釈に多少の嫌悪感を抱いて見ていた。
その有名な画家がどんなつもりで絵を描いたかなど、わかるはずもないドラマクルーが、
さもわかってるかのように立派にアートを語るストーリーをでっち上げるなよと。
しかもそれが日本語に翻訳されて、どれだけのことを伝えきれるのだと。
でもね、見てたら言ってることに納得した部分もちょっとはあったのだ。
母親の作ったアートを息子は全然理解できなかったが、
息子が小さいときに作ったボロボロの粘土細工か何かを、
その本人は大きくなって何じゃこりゃと言ってるのに、母親はアートだと言って大切に保管。
つまりその小さいときに作った変なものの、上手か下手かなどどうでもいいのであって、
ともかくそのときは作りたいものを夢中で作っただけだったという点がアートなのだ。
ホレ、先日の岡本太郎スペシャルでも、自由に描きたいように描くっていってたろ。
だから、売るためすなわち、他人の趣味に合わせてくだらないCDを量産してる人々など、
自分の好きな音楽を自分のために作ってる人とは全く別の世界にいるのだ。
特に音楽は、聴きやすい作り方のセオリーが確立されてしまっているわけで、
テレビで良く聴くような万人受けするやつは全部、アートじゃないからこそ理解されるのだ。
自分しか理解できないようなものを作ってると、本当に誰にも理解されない方が多いはず。
誰にも理解できないものを好きで作る人なんて世の中にはたくさんいて、
その中にたまたま、自分の好きなものが、他人の理解できるものと重なる人がいたりもする。
もしそれが万人にわかるなら、音楽と同様に、万人受けする技術が確立されちゃう。
要点をまとめることも難しいが、アートとは本人しかわからない自己満足であり、
本来は誰にも誉められなくて当たり前のもので、それを理解できない方も恥ではない。
ただし、その自己満足って言うのが、時には職人の仕事を凌駕し、
自己満足でしかなしえない高見に達することがあり、その部分が他人に評価される事がある。
そういうことだ。
これいい曲だねってのはただの職人芸で、いい曲じゃないけどコレ凄いって誉めるのがアートよ。
いやホントにまとまらない話だが、あたし自身はコレで十分納得して書いてる。
さて本題だ。
誰も見てなくても書きつづられていく膨大な日記サイトと、
一般人には他所のソフトすなわちEmEditorを勧めつつ、自分専用で改造を続けていく真魚だが、
最近は、これってアーティスティックな活動なんだなとつくづく思う。
完全なる自己満足を、見たけりゃ見ろよと公開しているわけだ。
真魚はパクリ創作をたくさん含むが、盗作が問題なのは音楽でも絵画でも利権が絡むからだ。
金さえ絡まなければ、アートはパクリを含む事の方が圧倒的に多いはずだよ。
だって音楽も絵画も作風ってものがあるだろ。
パクって叱られない相手が唯一自分だから、似たものを一人でいくつも作るってのは、
自分で自分をパクってるわけで、好きで作ったものが何にも似ないものばかりの方が不自然。
この世から著作権が消えて、音楽も絵画も好きにパクれた方がいいもの出てきやすいってば。
誰が作ったものでも関係ないじゃないかと。誉められるためにやったんじゃないんだし、
パクった他の人が誉められたことにいちいち嫉妬してんじゃないよと。
ま、コレも過去に書いた日記の繰り返しだがな。
ともかくね、これから真魚はアートなんだってことを強調していきたい。
良くあるフリーソフトで、他人の意見をなるべく反映させて、
より多くの人が受け入れることが出来るものを作るって言う方向ではやる気がないのね。
基本的には、誰にも受け入れられる必要はない。
だが、あたしゃよく、メモ帳を意識して、初心者でも使えるようにと口走る。
より多くの初心者に使わせようという気持ちは全くなく、
たまたま辿り着いてしまった人がたまたま使ったら難しくなかったという状況を想像し、
実際には誰も使ってなくても自己満足できる体なのだ。
そして、その実際って事をもう一つあげるなら、実際に誰も使ってなくて、
初心者の意見をどこからも聞けてない状況だからこそ、
こちらで勝手に想像する初心者にあわせているんであって、
本当に初心者が、初心者的なことをあたしに言っても、あたしゃ理解できないはずだ。
なんせコレはただの自己満足の創作なのだから。
もちろん、それを作ったことで誰かに誉められようとか一切ない。
キサマに誉められるために作ったんじゃないので、礼を言えとか敬語使えとか全然ナシだ。
たとえキサマに言われてやったことでも、それはキサマの意見をパクって、
いや、インスパイヤーされて自分のゴールを微修正しただけに過ぎない。
というわけで、コレまで通りの主張に変わりはないが、それをアートと呼ぶことにしたので、
これからは随所で、説明が面倒なときにそういって言い逃れることにする。
[日記的なもの/フリーソフト/2006]
アート宣言 / 2006-07-13 (木)
2010/03/20 (土) 更新 ©2005-2010 汁么ゴ魚 by Wantech
Powered by rNote 0.9.7.5



