激辛に幸福を感じるか

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時々、辛い物が食べたくなるんだけど、食べても満足してないことに気がついた。
甘いものが食べたいときに実際に甘い物を食べれば満足する。
肉が食いたいときに肉を食うと満足する。
何が満足なのかはわからないが、食いたかったものを食って良かったという気になる。
それが辛い物に関してだけは、食べても食べても満足に到らない。
肉に満足したときは、しばらく肉じゃなくても良いと思う事ができる。
その感情が辛さにはなく、たくさん食べてもより辛くしても、全く幸せになれない。
辛さを求めてはいるのに、辛さを与えられても満足を感じない。
それで考えてみたら「辛くて幸せだー」って人はいないんじゃないかと。
辛くないことで物足りないって事はあるよ。
物足りないからより辛くすることはあるんだけど、辛くしても満足ではないんだよ。
もっと辛くても良かったと思うか、辛すぎたと思うかはよくある。
辛くて良かったってのはない。
辛くてうまかったから良かったってのはある。
うまいかどうかの満足は何を食っても感じるが、辛さが欲しくて食って満足はない。
このように思い始めたのはここ数週間ぐらいだから、まだ要観察の段階ではある。
自分の辛さに対する欲求と、満足度の関係をまだ追いかけていきたい。



って、そこまではいいんだよ。
疑問に思ったらググるじゃん。
ググると出てくる情報が、コピペで同じ事ばっかり拡散されてるわけだ。
拡散されてるからって正しいとも限らなくて、あたしはその情報の根拠も知りたいのよ。
偉い人がそう言ったから、よそのサイトでもみんなそうだと言ってるから、で終わりよ。
それは文系の情報であって、あたしは理系の情報が欲しいの。
間違っていてもみんなで間違ってたら別にいいって人もいるよね。
それじゃなくて、みんながどう思っていようが、あたしの納得出来る情報が欲しい。
そのコピペ拡散情報では、辛さで快楽の物質が出て、もっと食べたくなるらしい。
でもあたし自身は全く逆で、快楽の物質が出てないから満足しないのかと思ったわけ。
おいしいものを食べて得た快楽を、辛い物を食べて得た快楽と混同してやしないかと。
辛くて美味しい物を食たときが、ベルを鳴らして食事した状態と同じで、
辛くて美味しくはない物を食べた時が、ベルを鳴らして食事しなかった状態。
本来なら美味しい物を求めるべきなのに、辛い物を求めてしかも満足しない。
満足しないからエスカレートしてどんどん辛くなるっていう構造を思いついた。
一般的なコピペ拡散と真逆なので、コピペ拡散の根拠となる情報まで欲しくなる。

世間では、ネットの健康情報に嘘が書かれてあったとか、時々ニュースになるけど、
ニュースになるほどの危険なことでなくても、ほとんどのことは証拠が出てないのよ。
たとえ嘘でも、多くの人が信じていることは本当と言う前提で拡散してるからね。
どこまでが証拠のある話で、どこまでが大多数の見解か区別がついてない。

ともかくあたしは自分の辛い物に対する欲求と、満足を得られたかの関係を注視する。
常識は足かせになるので無視し、自らの満足をより多く得るために自分を観察する。

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