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2015年 8月 8日 のアーカイブ

 友達の麻生君が殴られそうなら助けて良いのかどうか、って話があったと思うが、友達の麻生君が射殺されそうになったら逆に相手を射殺して良いのかどうか、って話だよな。いや戦争だからさ、戦争のフィクションだったら人が死なずにドンパチやることもあるんだろうけど、本物の戦争は相手を殺さなきゃ自分が殺されるわけだから、どの戦争も殺し合いな訳よ。殴り合いのケンカに参加するかどうかと、モノホンの殺し合いに参加するかどうかじゃ判断基準を同じにしちゃいけないよな。あんまり、殺し合いだよって意識が日本人の中では足りてない気がするわ。戦争法案じゃなく、殺し合い補助法案だよな。

 米国人が他国の人を殺すための武器を日本人が運びますかと。これで思いっきり殺してくださいねって応援しちゃうのかと。食料を運んで元気になって人を殺してねって励ますのかなと。これって米国がどこかの人を殺すとき、日本は殺す手助けをするって事を実現させたいわけだ。日本人は直接人殺しをしない。直接殺すのはアメリカ人がやる。人殺しに必要な武器や生活用品なんかを運んで、ここからは先生にお願いしますってヤツだ。ゴルゴ13にライフルを運んであげる係だな。いやライフルを運んだらその場で殺人を行うんだよ。いくら相手が日本に害を及ぼすとしても、その相手を殺すためにデューク東郷にライフルを運んだらそれもう助手じゃん。殺人助手。殺人依頼より一歩先行く殺人助手。米国に守って貰うだけじゃなく、米国の助手として一緒に殺人。この辺がさ、浸透してないと思うんだわ。そして、助手は安全なところにしか行きませんから狙われませんだって。いやゴルゴのライフルをお届け中の助手だよね。少し後をつけてゴルゴと合流するところを見計らって一気に突撃だわ。殺人の助手が安全なわけないだろ。なんかのフェアなスポーツじゃなく、殺し合いだからね。助手も殺さなきゃ危ないっての。

 でも、戦争に行きたくないってのは確かに無責任なんだわ。じゃあ家族が目の前で殺されたりしてるとき、守る人もいないしそう言う訓練してる人もいないし武器も何もないって事で良いのか、それとも誰かが命を賭けて、自国民を守るために多国民を殺す殺し合いに行くのか、これの決断はまだでしょ。憲法をそのまんま受け取れば、殺し合うくらいならただ殺されますのはず。でも自衛隊の存在は、殺されるくらいなら相手を殺して生きのびますって話で、さて今、どの程度までピンチなら殺し合いになるのかっていう解釈を変えようとしてるわけだ。憲法に従って完全に殺し合いを放棄し、ただ殺される日本になるのか、ただ殺されるくらいなら相手を殺す手段を準備していざというときは殺し合うのか、ゴルゴ13に用心棒をお願いして助手を行うのか、そういうところはまだ日本人が決断していない。そんなに戦争反対っていう奴等は、殺されてもやり返さない決意を示せ。戦争に行きたくないから家族が殺されても守りに来るなと拒否しろ。誰も殺したくない、殺されたくない、守られたい、協力したくない、誰かナントカしろっていってたら利己的だって表現はあってるわ。

 殺し合いか殺されっぱなしかの決断は、やっぱり国民投票しかないと思うよ。殺されっぱなしの方が良い人が多いなら、殺し合いは全てなしにしなきゃいけないし、殺されっぱなしはいやだっていうなら、殺す側の役割が強制的に回ってくる事を覚悟しなきゃいけない。これ決断しないでズルズル卑怯に先延ばしにして来たよね。特に戦争経験者が戦争反対って軽々しくいうのがしゃくに障る。じゃあ殺されっぱなしを選ぶって事だから、その人の子供たちが殺されるのを誰も守るな、戦うなっていう戦争反対だとわかってるのかと。殺し合いと殺されっぱなしと、どっちか選ばなきゃいけない現実はある訳で、どっちもいやだっていって先延ばしにしてうまくやってこれてるからなぁ。このまま卑怯にズルズルで、卑怯に殺し合いの支援をして、自分だけ殺し合いの嫌いな平和主義ですよと言い逃れし、どうにか誰も死なないように願い続けるポジションなんだろうな。これが日本のやり方だよって感じで。

 だからそう言う根本に触れないでさ、うわべで議論してるフリだけやって、時が来れば決まりましたよって事で進んでいくだけなんだから、何が正しいとか誰が正しくないとかいっても無駄だよね。決断しない日本人が悪いんだから。