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2013年 7月 29日 のアーカイブ
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 そもそも本当に死ぬときはもうよっぽど腹をくくった状態だから、説得してもしょうがないほど思い詰めてるだろうし、逆に自殺を止めなきゃいけないシーンなんてものが存在しうるのかすらあやしいが、そこら辺の話。例えばいじめられて自殺しちゃうお子様とか結構頻繁にニュースに入るけど、その子らが親に自殺するって言ったり、それを聞いて親が引き止めたなんてシーンはあったんだろうか。あいつら一応、遺書らしきものを親に残したりするけれども、それを遺書じゃなく口頭で面と向かっては言わないよね。オレ死ぬけどゴメンネ的な会話をして、ちょっと待てとかそんな変なやりとりはたぶん発生してないと思うけどわからないな。本人の生きるか死ぬかに関しては、家族が一番関わりのあることで、他人は家族に比べたらあまり関わりのないことなんだから、もし死ぬかどうかを誰かに相談するとしたら、まず家族に相談するしかないと思うんだよ。でもおそらく家族ではなく、リアル友達とかラインとかで言うんだろ。その友達の立場でなんて言ったら良いかしら。引き止めるべきかしら。もしくは家族が死にたい場合はどうかしら。

 よく、「死にたいことはあるか」とかって質問を見かけるが、あたしは大人になってから一度も生きたいと思った日はないので、その質問自体があたしは対象になってないと思ってるんだけれども、その、生きていたくないあたしから見て、生きると言う事は自分の大事な人にはオススメできるような代物じゃないわけよ。それこそ子供がいじめられて自殺とかって話が自分に降りかかったとして、「こんなオススメできない人生を与えてしまってごめんなさい」しか言えないなわけよ。自分でも生きていたくないような世の中に子供を呼び込んで巻き添えにするなんて許されることではない。でもその子供が生まれる前から子供が大事じゃなかったからそうなってしまったのであって、今から生まれるかどうかをあたしが選んでいいならこんな世の中に大事な人は呼ばない。だもんだから、自分の子が死ぬって自分で決めたなら、引き止める理由がなんにもない。今まで本当にありがとうでごめんなさいだわ。ダメな日本でごめんなさい、ダメな親でごめんなさい、ダメと知りつつみんなやってるから軽い気持ちで産んでごめんなさい、生きるも死ぬも殺すもご自由にどうぞだわ。

 生きていたくもないあたしの立場でではそうなんだけど、逆にそこそこ生きるのが好きな人であれば、死にたくなった人を引き止める事を考えるだろうよ。でもね、それってたぶんテンパってるだけじゃないかと思うんだ。死にたい友達の気持ちを、死にたくもない人はわからないから、引き止めた方がいいかどうかすらわからずにとりあえず引き止める方向になるんじゃなかろうか。でも本当に改めて考えてみて、本当に引き止める方がいいんだろうか。例えば善悪って基準で考えても、生きさせれば善で死なせれば悪って思い込んでるだけで、そりゃ生きていい思いをする人もいるだろうしそういう人は死にたくないだろうけど、その人は生きて嫌な思いの方が多いから死ぬって話をしてるんだとすれば、生きろって言う方が悪じゃん。極端な話をすれば、「生きてオレが楽しんでるところを這いつくばって見てやがれ」って言えば悪なわけで、そうではなく「生きてオマエも楽しめ」っていう言い方をして善になりたいのであれば、その楽しみを供給できなくちゃ無責任なわけで、引き止めて終わりでアフターケアなしだと悪の方なわけだ。うちの子には生きた方が楽しいであろうコンテンツはまだ供給出来ていない。いや今一時的に楽しいだけってんなら毎日の努力でいくらでも出来てるけれども、大人になってもなおかつ楽しいかどうかと言えば、例えば何かうちの子にしか出来ない世界一の芸とかを持ってたらそれを生きがいに出来るだろうけど、おそらく大人になったらなんの才能もない普通よりちょっと下くらいの人になるんだろうし、それで楽しい人生かどうかだともう親が供給出来ることじゃない。自分なりに楽しみを見つけられなくて死ぬって言い出したら、そりゃやっぱりあたし自身がこの世の中に生きていたくないくせに子供を産んでしまった無責任さに問題があったのであって、知ってたんなら産まないでよって言われちゃうよ。マジで産んでごめんなさいでありがとうでさようなら。おそらく件の通り、生きるか死ぬかをオヤジに相談しないだろうけど、万が一にもそれをオヤジに言うようなよい子なら、オヤジはもうもったいないからいっぱい遊ぶわ。どっちか死ぬまで遊ぶのをやめないわ。遊び殺してやるわ。