[日記的なもの/未分類/2009]

フレッシュ枠 / 2009-07-31 (金)

ギャグってのは実に飽きられるのが早い。
いや、飽きられると言うよりは、どんどん新しいものが求められる傾向があるため、
飽きていなくてもすぐ次に行きたがり、前のは古いって言われちゃうんだよな。
このことを、島田紳助は子供より同世代に受けないと短命になると表現した。
確かに、ギャグが流行るかどうかは子供がマネするかどうかであり、
子供は一つのギャグを短期間に何度もマネし、すぐ飽きて別のことをやる。
受けるって表現も曖昧だが、マネして遊ぶのにちょうどいいギャグっての大ブレイクの可能性があり、
しかし、誰にでも出来るゆえに、本人にしかできない芸に比べると、大人は満足しきれない。
だから、大人を喜ばせる芸が出来る人の方が、大ブレイクはなくともロングランの可能性は高い。
だから紳助の言うことも最もなのだが、子供を喜ばせるギャグを連発出来れば、大人に受ける必要はない。
例えば志村けんみたいに、子供向けギャグを連発して全部当りを出せばいいわけだ。
そう言う前例があるので、ギャグで一発当てた芸人に限って、もう一発当てようと新ギャグを出してくるが、
一発当てた人はことごとく、二発目を当てられないでいる。
なぜ、志村は何発も当てられたのに、一発屋の人は二発当てられないのか。
その答えは、なぜ一発は当てられたのかにあり、それはフレッシュ枠と言うことに他ならない。

すなわち、強い人が必殺技を持ってるがごとく、志村はギャグを持つ面白い人だった。
必殺技やギャグがなくても実力のある人が、実力をさらに出し切るための武器まで持っていた感じだ。
これと比べて、一発屋芸人というのはギャグが面白い人であり、面白くてギャグもする人ではなかった。
小島はそんなの関係ねーの人にはなれたが、面白い人にはなれなかった。
グーの人もグーの人でしかなかったし、ポッポの人もポッポの人でしかなかった。
彼らが、何々の人にまではなれたのはフレッシュだったからに他ならない。
明石家さんまが今さら醤油のギャグをやっても醤油の人にはなれないのは、フレッシュじゃないからだ。
まだあまり見たことない、まだどんな人かもわからない芸人が、マネしやすいギャグをやるから流行る。
面白いやつがでてきたではなく、新しいやつがでてきたというのが流行る理由だ。
新しいやつが名前よりギャグを名刺代わりに覚えて貰えれば大成功だが、
フレッシュじゃなくなれば衰退するわけで、そうなってから新しいギャグを考えてたんじゃ遅い。
一発目のギャグがブレイクしている間こそ、ギャグがなくても面白いという印象をつける勝負の時なのだ。
フレッシュ枠として注目されている間に、どんどんバラエティーにでてトークをしたり、
ギャグをやらされないコントでもみるなり、武器なしでも面白いと言うことを証明しなきゃいけない。
武器が良かっただけの面白くない人ってのは、武器はフレッシュじゃないと武器にならないので、
いくら新しい武器を考えたところでしばらくは流行ることなどない。
たぶん、一回忘れ去られてまた無名に戻るとフレッシュさも回復し、二発目のチャンスも来るだろう。
そう言う人ならたまにいるけど、ギャグを続けてヒットさせるってことは、ギャグしかない人には無理だろう。

さて、今フレッシュ枠な人たちって、名刺代わりのギャグ以外でどれだけ笑いを取ってるかな。
それより、誰が今フレッシュなのかも、あたしにはちょっとわかりかねるが。
ワカチコーとか言ってる人は完全にアウトなんじゃね。
つけ麺の人はギャグより歌や性格が笑われてるからいいかもしれないが、笑わせてるわけじゃないのがなぁ。




2010/07/31 (土) 更新 ©2005-2010 汁么ゴ魚 by Wantech
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