[日記的なもの/未分類/2008]

死刑論者による死刑廃止論 / 2008-03-26 (水)

あたしはバリバリの死刑論者で、厳罰以外に治安を維持する方法はないと考えているが、
正常な人間にとっては死刑こそ最大の厳罰だが、サイコ野郎にとっては全く罰にならない場合があり、
それどころか、死生観の違う人達にとっては、生まれ変わりのチャンスや、有名になるチャンスだったりする。
現代社会において最も警戒すべきは、死を怖がるようなまともな人間の起こすちっぽけな犯罪ではなく、
他人の命どころか自分の命さえも軽い物だと考えている人による大量殺人だ。
彼らにとって死刑は厳罰ではなく、既に受け入れた運命にすぎない。
生きることが死よりつらければ、死刑など全く怖くなくなる。
死刑は、治安維持のための厳罰としては全く機能していないのだ。

それどころか、自殺できない人にとっては、まさに救ってくれる制度であり、
あたしも死刑になりたくて、何をしようかと昔から想像巡らしたりするが、
死刑になるためにはそれなりにたくさん殺さないといけなかったりして、
テロ的な規模で無差別かつ計画的にやらないと、刑務所で長く生かされそうだという心配が残り、
結局の所、あんまりサイコじゃない人間でも、あえてサイコに走ることを助長している。
人生に希望を持つのが苦手な人種にとって、死刑はやけっぱちに利用するのに好都合すぎるんだよね。

また、死刑になるかどうかの瀬戸際のやつが、裁判で死刑を逃れようとするのも、
あれは別に死ぬのが怖いんじゃなくて、こんな悪いやつが死刑にならずに世に出るぞという、
被害者の絶望をもっと逆撫でして、あえて逃れてみようと楽しみを与えているんだよ。
あたしだって、自分を死刑にしたいほど憎んでるやつに、死刑にならずにアカンベーできたら、
それはもう一人殺したのと同じくらい楽しいだろうなぁと、普通に想像できるわ。

まぁ、まともな人達は、まともじゃない人の命に対する考え方にはついて来れないだろうが、
結論だけ信じて貰えるなら、死刑は全然怖くない。
暴漢に襲われるて殺されるのは怖いけど、死刑は運命だから怖くない。
しかも死刑は、なるべく苦しまないようにやってくれるわけで、
生きる理由がなくなった人にとって、最後は犯罪を楽しんだ上に、最も楽な死をもたらしてくれる死刑は、
望む物ではあっても、恐れる物では決してない。
一言で言えば逆効果。

そんな、死生観がちょっとばかりずれてしまった人とか、生きたくない人にとって、死刑よりも怖いのは、
米国みたいに数百年の懲役刑を科され、しかもチベット人のように虐待されることだ。
自殺できなくて死刑を望む人は、刑務所での自殺もできない。
単に死ぬまで拘束されるだけなら、シャバの人間関係が嫌で刑務所に逃げ込む事が幸福なのでダメ。
簡単に言えば、地獄行きが怖いのであって、死んでも地獄がないと思ってると死刑は怖くない。
だから、人権を無視した生き地獄を作って、殺さずずっとイジメ続けてくれないと、犯罪を抑止できない。
まぁ、それが出来ないとわかってるから、やむをえず、最大の厳罰は死刑ということになっているんだがね。

どっちにしろ、犯罪抑止のためにというなら、死刑は逆効果になるだろうから、
せめて、終身刑を最大刑とし、生きながらにして苦しみ続けるよう法整備した方が良い。
永久に人権を剥奪するっていう刑なら、怖くて、くだらない人殺しなんか楽しむ気にもなれんわ。
シャバよりマシな懲役刑とか、楽に死ねる死刑とか、その程度で罰として通じると思うなよ。




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