[日記的なもの/未分類/2007]

自殺者擁護反対 / 2007-02-05 (月)

武士道だかなんだか知らないが、日本には切腹の伝統がある。
何か失敗をやらかしたときに、自らの命を持って償うってことが昔から受け入れられてきた。
本当に死ねばチャラになるのかみたいな話から。

お金を1万円盗んだとして、捕まって1万円返してもチャラにはならない。
万引きして捕まった後に、じゃあ払いますよと代金を払われてもそれじゃ許せない。
代金を払うのはもちろんのこと、永久に悪いことはしないという決意と謝罪を見せて欲しい。
単に形だけの謝罪ではなく、心を入れ替えたと信じさせるほどの何かをして欲しい。
1万円盗んだら、土下座で3万円返しぐらいしてくれたら、チャラにしてあげてもいいかな。
もしヤクザから1万盗んだらきっと1000倍くらいは取られるだろうな。
悪いことをしたら、その被害と同等では済まされず、それ以上を要求されて当たり前だな。

のはずなのだが、今の世の中じゃ人を殺しても死刑にはならないんだな。
昔であれば、犯罪者本人の命だけで償えなければ家族の命も払わせるという事まであった。
あたしゃ命を大事にしない人間なので、そのくらいでちょうど良いと感じるけれども、
もうちょっと頭のまともな人たちは、人殺しの命すら大事にするのが一般的だ。
死刑制度が残っている日本は特殊なようで、主な先進国は死刑がない。
ただし、警察官による銃殺というナイスなエンディングも多発するからバランスはよい。
ともかく表向きは、どんな犯罪も命でチャラには出来ないことになっている。
犯罪者にもやり直すチャンスを与える国って、まぁ良さそうに見えるよ。
日本でも死刑はなるべく出さない気だし、死刑になっても執行されなかったりもする。

そんな、悪いことをしても立ち直れる日本で、悪いことをしたくせに自殺する奴等が居る。
勝手に悪いことをしたくせに、勝手に自分を裁くなんて何様のつもりだ!
そもそも昔の人殺しでさえ、直接仇討ちされてようやくチャラになるわけで、
自殺だの病死だので死なれたら消化不良で全然チャラにはならない。
すなわち、命そのものが重要なのではなく、殺されるという行為の方に意味があるのだ。
死刑囚は死刑執行までの期間に改心する人もいるというが、
それだって、何故自分が死ぬのかを自分で考えさせる事に重大な意味がある。
命自体はどうでもよく、遺族がサッパリするかどうかこそ、仇討ちと死刑の醍醐味だ。
それなのに、被害者が見ても居ない所で勝手に飛んで死んだり、
死んでしまったら誰も反論できない、自己中心の遺書を書いてみたり、
生前に迷惑かけておきながら死ぬことでさらに迷惑かけるのは最悪だ。

命は重要だから死ぬなとか、嘘を教えるのはもうやめよう。
自分で死ぬヤツは嘘であることに気がついて死ぬんだから、それは何の効果もない。
それより、自殺は迷惑であり、何の謝罪にも抗議にもならないことを教育しよう。
「殺されること」なら謝罪になるが、自分で死ぬのは自分がサッパリするだけの勝手な行為だ。
武士が切腹するのも、会社をクビになる寸前に責任を取ってやめるのと同様、
殺されるくらいなら自分で絶つという自己満足で死に様を選ぶだけの、美しくない行為だ。

自殺は本人が死んでるから罰がないだけで、自分に対する殺人、すなわち悪であり、
謝罪ではなく卑怯な現実逃避であり、遺書は捨て台詞なので何の価値もない。
肉塊と一方的な文面のセットは汚らわしいからポイしましょう。




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