チャラとはすなわちイーブン、帳消し、痛み分け、リセットということだ。
例えばオーストラリア戦でもクロアチア戦でも点数決められない柳沢は、
ブラジル戦で何をすれば国民の非難を免れて許してもらえるかと言うこと。
例えば出場して3点くらい取ったとしても、逆に4点取られて負けた場合、
その大活躍をあと数日早く出していればこんな事にならなかったと非難されるだろう。
ブラジル戦に出場すらしなかったとしても、決勝トーナメント進出さえ達成すれば、
グループリーグでの失敗は全てチャラだろう。
国民が今許し難いのは、敗北によって日本人としてのプライドが傷つけられたことだけ。
下らぬナショナリズムに染まった連中を納得させるには、
高すぎるプライドの回復、すなわち勝って次に進む以外、何があってもチャラにならないのだ。
ジーコジャパンは今、もてはやされすぎて余計な十字架を背負ってしまったな。
次に牛肉の話だが、アメリカというかキリスト教の連中は、
どれだけ悪いことをしても、悔い改めれば許されるのだという前提で生きている。
ちなみに仏教がベースの国では、現世の罪は来世まで持ち越しになる。
どういうことかというと、アメ公の場合はミスって日本に毒入り肉を送っても、悔い改めてチャラ。
日本サイドは悔い改めてもチャラに出来ないので、世論は圧倒的に再開に反対しているが、
どうしても立場が弱くてそれを主張できない敗戦国。
パールハーバーはチャラにならなかったが、広島長崎はチャラにした敗戦国。
今こそ、悔い改めてもチャラにならないぞ、あるいは全頭検査しなきゃ悔い改めたと認めないと、
ちゃんと言ってやらなきゃ、不平等に半植民地化は進行してしまうぞ。
それから、死刑か無期懲役かみたいな裁判もやってるが、
人を殺しても悔い改めればチャラっていうのも、キリスト教から押しつけられた馴染まない制度。
因果応報という言葉が当たり前にある日本的な考えでは、殺したら殺されてチャラである。
レイプして殺した場合は、レイプされてから殺されなきゃチャラにはならない。
何人も殺したら、犯人の家族まで死刑になってようやくチャラ。
日本の刑罰は、日本の文化にのっとり、キリスト教の文化には毒されない形にならなきゃ、
より多くの日本人を納得させることはできず、治安に悪影響を与えるのは当然。
よく、死刑制度があるのは後進国で残酷で恥ずかしいみたいな話を聞くが、
キリスト教化することが近代化ではないし、日本では被害者の心を救済しない方が残酷。
なによりも、外国に言われて建前で自国の文化を喪失するのは大きな間違い。
別にいやがるキリスト教徒に無理矢理クジラを食わせる必要はないが、
そのキリスト教徒に言われて捕鯨をやめるのは完全に間違いであり、
日本には日本の文化があり、これを侵害すべきでないのと同様に、
人殺しは殺されてチャラの方がより多くの人が納得する国だから、もっともっと死刑にすべき。
死ぬまで牢獄にいても、反省したかどうかわからないまま信じてチャラにしてあげる文化はない。
罪を憎んで人を憎まずは、努力目標に過ぎず、同等の罰をやはり日本人は望んでいる。
むしろ、アイツもやってるのに何でオレだけ捕まるんだ!とかいっちゃってるわけだし、
あれだけのことをしたのにこの程度の罰金か!って、罰の軽すぎは良く指摘されるわけだし、
悪いことをしたら必ず、それと同等の罰が下されないと、日本人は納得しない。
別に犯人が死刑になっても、殺された人は生き返らないし喜ばないけれども、
遺族がせいせいして納得する最低限のラインは、ともかく同等の罰しかないのだ。
仇討ちを合法に出来ないなら、せめて殺人犯は全員死刑だろう。
同等、すなわち、柳沢のプレーに不満なのではなく、
負けて自分が不愉快な事への補償を求めているので、
決勝トーナメント進出して愉快にならなきゃチャラにはできない。
毒入り牛肉をチャラにする同等は存在しないので、今後一切ないことを保証する全頭検査、
それが出来ないなら永久に輸入停止で、なおかつチャラにはならないのが日本の文化。
いや、あたしゃ牛肉が本当に危険かどうかもあやしいと思ってるから歓迎だが。
そういうチャラの基準の話。
[日記的なもの/未分類/2006]
どこでチャラか / 2006-06-22 (木)
2008/11/19 (水) 更新 ©2005-2008 汁ムゴ魚 by Wantech
Powered by rNote 0.9.7.5



