[日記的なもの/未分類/2006]

ドラえもんの話 / 2006-05-27 (土)

TVのドラえもんが、声優総入れ替えなどでリニューアルして1年過ぎたのだが、
最初は違和感を感じていた人達も、そろそろ慣れて正当に評価できてるのではないかな。
今までと違うということが、今までより悪いと言うことにすり替えられがちだからな。
あたしゃ旧声優陣より、新声優陣の方が、ジャイアン除いて好きだ。
特にドラが、ノブヨだとわざとらしすぎて不満を持っていた。
子供キャラに本当の子供を使っちゃうと、現ジャイアンのようにひどいことになるから、
大人が子供のフリをしてわざとらしく演技するのは仕方がないのだが、
さすがにノブヨみたいな声出すのはロボットといえども不自然すぎだ。
他の声優陣ももう、天寿を考えるほどのベテランになっているので、リフレッシュは妥当だ。
ジャイアン以外は不自然さを解消して非常によい感じになっている。
特にママだ。ママ最高だ。魅力的だ。母としても女としてもすばらしい。
以前のママはヒステリーなだけのババァだったが、今回は優しさと女らしさを持っている。
いいじゃないですか、奥さん、って近付きたいくらい。

そんなドラえもんだが、昨日の放送では出来杉の特集だったので、
昔思ってたお話しの中でのバランス的なことを書いておく。
まずのび太は、最も劣った人物としてこの物語に登場する。
その対極の、最も優れた人物は出来杉だ。
ドラはひみつ道具によって万能であるが、この対極はもちろんジャイアンだ。
ジャイアンはひみつ道具に頼らない人間の力の象徴である。
この物語での闘争は常に、人間の力VS道具の力の図式となっている。
最後の対極は、最も良い心のしずちゃんと、最も悪い心のスネ夫だ。
何も出来ないのび太は、ドラの道具に頼るか、頼らずにジャイアンと戦うか、
スネ夫の意地悪にさらされ、しずちゃんの優しさにも触れ、
そして対極であり完璧な存在である出来杉を勝手にライバル視する。
時にコミカルで、たまには感動的な話を提供するドラえもんは、
実にバランスの取れた対極の関係によって成り立っているのだということだ。
どうでもいい話だがな。

ところで、子供の頃からずっとドラえもんに親しんできた世代だと、
例え話で「ドラえもんで言えばジャイアン」などというとわかりやすいわけだが、
もっと上の、子供の頃はドラえもんがいなかった世代になると、
「どうして最近の若者はマンガの例えばかりなの?」と感じているようだ。
マンガのたとえを出すのはドラえもんぐらいなので、ドラえもんってすごいな。




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