[日記的なもの/囲碁/2007]

石の健康法 / 2007-11-13 (火)

囲碁の話だと断っておかないと誤解されるようなタイトル。

地を取ることも石を取ることも目標にしないという前書きを読む限り、
「石の健康法」は「石の形」とかぶる内容の本かと思って読んだが、実際は全く違っていた。
これはとにかく、石が取られないためには、取られそうになる前から気を配るという話で、
人間で言えば病気になってから治療するのではなく、普段から健康に気をつけようという話。
だから、健康法というタイトルでピッタリの内容だ。

連絡する話と眼形を作る話が書いてあり、それは当たり前のことなので新鮮さは感じない。
ただ、連絡出来なかった場合はその分断された両方を活かすために労力が倍になるとか、
まだ生きてない石を連絡するのは必要だけど、生きた石を連絡しても意味がないとか、
なぜ連絡するのかという根本的な部分をくどくどと書かれてあるのはありがたい。

第一部が連絡の話で、第二部が眼形の話という二部構成だが、
連絡の方は簡単な話が多く、初心者でも実践できそうな物。
実際の所、19路盤で何をやっていいか迷った時、とにかく連絡するようにしていけば、
その石は生き残るので、自然に地が出来上がっていく。
しかし一旦切断されると、だいたい切断された石は目が作れずに死んでしまい、それが敗因になる。
自分が黒を持つ置碁では、最初から自分の方が味方を点在させてスタートするわけだから、
近くにある黒石まで連絡することだけ実践すれば、死活は考えなくてもどうにかなる物だ。
この本でも自分が黒の置碁で説明してるし、初心者はまず連絡を考えるというのが正道だろう。

ところが、第二部の眼形の話になると、そんなに簡単な内容ではなくなる。
眼ではなく、眼が出来そうな形を作ろうという事だから、初心者には眼が出来そうか判断できない。
布石の問題集とかでも、「おさまる一手」とか、「拠点を与えない」などという文句がよく出てくるが、
それはいずれも、二眼つくって生きのびることが出来そうかどうかに関する話となる。
そのあと何十手も先を読んで、生きるか死ぬかを判断出来るのは高段者レベルなわけで、
初心者の場合は先を読めないから、「なんとなく」広かったり、「なんとなく」隅を守れそうだったり、
そういう「なんとなく」を経験上磨いて行くしかないわけだ。
この「石の健康法」でも、どうなれば眼形確保か、どうなればおさまったか、どうなれば拠点か、
という、先が読めなくても分かるような簡単な判断方法は提供してくれない。
二眼作れそうな形かどうかが判断できないと言うことは、他の石と連絡を要するかどうかも判断できない。
つまり、石が健康か健康でないかを判断できないし、手をかけるべきかどうかも判断できない。

この本だけを読んでも身につかないが、眼形を身につけることさえできれば良いと言うことは分かった。
生きるか死ぬかを、より早い段階で判断できた方が勝つという、当たり前の結論に到達する。
じゃぁやっぱり左脳でヨミの力を鍛えつつ、プロによって作られた眼形をより多く右脳で覚えるしかない。
だから詰碁やって棋譜並べてっていうトレーニングをするしかない。

これは既に出た結論を再認識させてくれる本だった。


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