[日記的なもの/囲碁/2007]

アハ体験 / 2007-08-30 (木)

フジテレビ系列局がない青森県では、めちゃイケが火曜の深夜に放映されるため、
土曜の八時は世界一受けたい授業で決まりだ。
その番組でしょっちゅうやってるものの一つにアハ体験がある。
徐々に変化していくVTRを見て、どこが変化したか当てるゲームをしたり等、
これまでただの間違い探しだったものを「頭が良くなる」と断言しちゃったため、
特に自分の頭の悪さに危機感を持ってる人達が競うように飛びついちゃって、ちょっとしたブームになった。

何年か前までは一生懸命に勉強しなきゃ頭が良くならないと思われていたところに、
DSで遊ぶだけで頭が良くなるとか若返るとか言われはじめ、ついには間違い探しで頭が良くなると来た。
もちろん、脳トレを繰り返せば脳トレで遊ぶことがだんだん得意になり、高得点を出せるようになるし、
間違い探しを繰り返せば間違い探しが上手になって行くのは確実なのだが、
脳トレや間違い探しが得意かどうかを基準とする頭の良さは、はたして誰にとって必要なのか。
様々な頭の良さがあるわけで、脳トレの天才、間違い探しの天才もいれば、
六法全書丸暗記とか電卓より速く暗算出来る人とかもいるわけで、
間違い探しが早くなれば何でも暗記できたり電卓を超えられるわけではない。
何か試験に受かりたいなら、そのためには試験の勉強が必要で、
脳トレで頭が良くなれば試験の勉強時間を減らしてもよいなどという因果関係はない。
自分の頭が悪いばっかりに、頭が良いと言うことに無駄に憧れ、
使い道がない頭の良さを求めるというのは非常に悲しい。
何のために頭を良くしたいのかを考え直し、仕事なら仕事、勉強なら勉強に励むのが一番実用的。
回り道をするな。

と、若い人には言えるのだが、何でも良いからとにかく脳を使わないと腐ってしまう老人だっている。
脳トレが上達しても何にも役には立たないけれど、脳が腐らないためのリハビリにはなる。
得点の変わりに脳年齢が表示され、ゲームが上手くなっただけなのに若返った気にさせてくれるから、
脳年齢自体は全く若返ってなくても、若い人と同じくらいの点数が出せるほど上達した事は事実で、
それで楽しいのであれば老人にはメリットのあるトレーニングとなるはず。

今あたしは、自分の脳が老いたことに危機感を持っている。
例えば漢字が書けなくなって、先日は「松」という字を間違えて、「私」みたいな読めない字を書いた。
飲み会の幹事をやっても、飲む前なのに金額の計算が出来なくて、よその人の計算に黙ってうなずく。
で、別に漢字なんか名前しか書けなくなっても平気だし、計算が出来なくなっても困らない。
だから、漢字をトレーニングする気も計算をトレーニングする気も起らない。
そういう能力は別になくなっても構わない。
ただ、身についていたことがどんどん出来なくなっていくと、老いという下り坂が非常に怖くなっていく。
自分は今、どんどん脳が衰えているんだと思うと、何かボケ防止にやりたくなってしまう。
そこで、今やってる囲碁はわりと頭を使ってる気がするし、ボケ防止に役立ってないかなと期待する。

詰碁の問題が分らなくて考えていた時、ふと、分らない方が脳を活性化させるというセリフが思い浮かんだ。
そして「ここはダメ、ここもダメ、あ、ここだ!」とひらめいた時、これはアハ体験だと感じた。
なにもアハ体験は間違い探しでなくては出来ないのではない。
分らなかった問題とにらめっこして答えがひらめいた瞬間に脳が活性化するというなら、
囲碁の問題集はアハ体験の問題集といえる。
しかも、間違い探しは大量に作るのが難しい上に、一度解いた問題はもう感動できないのに対し、
囲碁の問題は既に大量に存在するし、一度解いた問題でも何日かほっとくとまたやれる。
問題だけなら相手がいなくてもやれる。
これはボケ防止の脳トレなんだと思うことにした。

もちろん囲碁で脳を鍛えても漢字が書けるようにはならないし、おつりの計算も出来るようにならない。
アハ体験で脳の老いを少しでも食い止めることが出来るかも不明。




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